「あ、あそこです。あの影が私たちの村です」
子供をつれた足で、森の中を進み、案内に立った子供がそう指を指したのは、すっかり太陽も高くなった頃だった。
「おおっ。やっと着いたねー」
「………」
ほっと息をつくクルスと無言のカイオスの横を、歓声を上げながら子供たちが駆けて行く。
最初に、彼らに気付いたのは、誰だったのか。
たちまち村の方からも、ざわめきと歓びの声が上がった。
駆け出した子供に、自然と遅れて村にたどり着くことなったクルスたちは、村人達からの歓迎を真っ向から受ける。
「あんたらが、助けてくれたのかい?」
「子供たちが、無事に戻ってくるなんて…」
「隣の村の子もいるよ! 早く、知らせてやらなきゃ…!!」
カイオスは、無表情に息を吐き、クルスはにこにこと喜びを分かち合う。
「よかったら、少し滞在して行ってください。精一杯、おもてなしします…」
「お、おもてなし…!!」
ぱっと黒い目を輝かせたのは、クルス。
そんな少年の前にすっと割り込んで、言葉を紡いだのはカイオスだった。
簡潔に、丁寧に、あっさりと、申し出を断る。
「お気持ちは嬉しいですが、先を急いでいますので」
国王に使う程度の敬意しかこもっていない、ある意味慇懃な、要するに棒読みの断り方だったが、目を見つめられながら、断られた相手の女は、ぽっと少女のように頬を赤らめると、いえ…と目を伏せた。
たちまち人だかりができそうな雰囲気だったので、彼は二の句を封じるように続ける。
「紫の目をした娘が、この辺りを通りませんでしたか」
「え、紫…」
よほど予想外だったのだろう。
相手はぱちぱちと瞬いた。
ティナの瞳の色は、かなりめずらしい。他の特徴を延々と並べ立てるより、これが人々の記憶に止まりやすいことを、彼は知っていた。
「ねえ、誰か、見た…?」
聞いた相手の女が周囲に意見を求めるが、周囲も首を傾げるような反応を返すばかり。
もともと、そんなにうまく情報が手に入るとは思っていなかったので、カイオスは、早々に諦めをつけ、礼を言うために口を開きかける。
その時。
「…もしかして、ジェレイドさんのとこで見た娘さんのことじゃないかね」
しわがれた声が背後からかけられた。
「ギムルさん」村人が、声の主の名前だろう、呟く。
彼は振り返った。
初老のきこりが立っていた。
「…ジェレイド」
耳に止まった単語を、口の中で繰り返す。
どこかで聞いたこともある言葉であるような気もしたが、今は黙殺して老人を促した。
「見かけたんですか」
「ああ。確かに紫の目をしていた。珍しかったから、よく覚えている。――旅の途中のような感じだった」
「そうですか」
それだけ分かれば十分だ。
髪の色や、服装は見間違いもありうるが、あの色だけは、そう簡単に間違えないはず。
「ありがとうございました。…失礼します」
会釈もほどほどに、彼は相手方に何も言わせないまま、村を出て行く。
唖然とした空気が広がったが、構うことは無かった。
あの女もおそらくそこまでバカではない。
こちらと合流する手立てがなければ、さっさとゼルリアの方に足を向けるだろう。
これで、問題は王女の身だ。
この村にたどり着くために随分と時間をかけた。
奴隷船の出航がいつになるか分からないが、急ぐに越した事はない。
それにおそらく、王女のいない今は、首都へ入ることにさえ、かなりの時間をさかれるだろう。
一刻も早く。
――ゼルリア王都デライザーグへ。
「あ、待ってよ、カイオス!!」
クルスが慌てたように走ってきて、横に並んだ。
早足の相手に合わせるために、小走りになりながら、
「うー。グルメなおもてなしが、うけたかったよぅ」
ふさふさの髪を振って、残念そうにうなだれた。
それを、感情のない目で一瞥した後、さらりとカイオスは切り捨てる。
「…夢の中で、さんざん食ったんだろ」
「そーだけどー」
切り捨てられたクルスは、不満そうに口を尖らせながら、それでも、アベルが連れ去られるときに自分が眠りこけていたという、罪悪感はあるのか、それ以上何も言わなかった。
その代わり、青年の方を見上げて、問う。
「ずっと気になってたんだけどさ…。カイオスは、何で昨日焚き火の傍にいなかったの?」
「…さあな」
と彼は、言葉を濁した。
後は無言で、二人はゼルリアへの道中を急いだ。
■
「ここまで来りゃ、大丈夫だろ。まっすぐ行きゃ、街道に出る」
「ありがとうございました。すっかりお世話になりました」
食事をすっかり平らげ、洗ってもらった外套が乾くのを待って、ティナはジェレイド夫婦の家を後にした。
ゴブリンから助けたにしては、過ぎるほどのお返しをもらったのに、その上ジェレイドは、ティナがゼルリアに向かっていると聞くと、森の出口まで案内がてら見送ってくれたのだ。
そんな彼の気持ちに、心から感謝しながら、ティナは頭を下げる。
「じゃあ、あたしはこれで」
「あー」
結局、彼の意味深な言葉の続きは聞くことができなかったが、ティナは振り切って踵を返す。
背を向けて歩きかけたところで、背後で声が上がった。
「あー、ちょっと」
「?」
振り返ると、男は、黒い髪をぼりぼりと掻いて、言葉を選ぶような様子で眉をひそめていた。
少しの間を置いて、彼は言った。
「あんた…石版を集めるなら、いつかミルガウスに立ち寄ることも、あるだろ。その時に…もし、左大臣だか国王だかに会うことがあったら、伝えて欲しいんだが」
「はい」
軽く頷いて続きを待つ。
それでも、少し逡巡があって、やがて男はぎこちなく切り出した。
「オレは、――ジェレイドは、『ここ』で生きてる。こんな生活も、悪くない、と」
「…え」
思いがけない言葉に対して、ティナは目を見開いた。
どこか決まりの悪そうに、男は続ける。
「オレは、昔シルヴェアの王宮に居たんだ。国政に関わってた。だが…ちっとばかし国王の策にはまってな。こうして追放されてちまった。左大臣は、それを悲しんでくれた。ま、それでもこうして生きてるわけで。だから…だから、よ」
「うん、分かった。ちゃんと伝えます」
ティナはこっくりと首を倒した。
若くして、彼がこんなところに引きこもっている理由。
全てを見透かしそうな、瞳の強さ。
そして場所に不釣合いな、聡明な光。
シルヴェアを追放された、と。
そういう、ことだったのか。
――それにしても、彼が王宮を去るに当たって、左大臣が『悲しんでくれた』というくだりだけが、いまいち実感がわかなかった。
ただ、シルヴェアの時代だと、カイオス・レリュードはまだ居なかっただろうから、前左大臣バティーダ・ホーウェルンのことを言っているのかも知れない。
ただ、バティーダは何年か前に死んでしまっているのだが、ジェレイドはそれを知らないのか。
(こんな森の中だからかな)
こんなに鋭そうな男でも、どうしても、世情に疎くなってしまうものなのかも知れない。
だが、ティナはそれを敢えて言葉にしようとは思わなかった。
何となく、そのほうがいい気がしたのだ。
ただ、しっかりと頷いた彼女の答えに、ジェレイドはにっと笑って頭を下げる。
「恩に着る」
二人は、どちらからともなく握手を交わした。
そしてティナは、今度こそ振り返らずにゼルリアに向かって進みだした。
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