Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第七章 妾将軍の秘宝 
* * *
「船に…帰って来たの?」
「みたいだな」
 白い光がまぶしい。
 潮の香りの風をいっぱいに吸い込んだティナに、もの凄い勢いで駆け寄ってくる影がある。
「ティナ!?」
「クルス」
 ぱっと地を蹴った少年が、抱きついてくるのを受け止めて、ティナはぱちぱちと瞬く。
「な、何そんなおーげさな」
「海に落ちて、一晩中上がってこないんだもん!! どこが、おおげさじゃないんだよっ」
「一晩中…」
 そういえば、海に投げ出されたときは、確実に日が沈む間際だったが、今は明るい陽射しがやらわかい、すがすがしい朝だ。
「で、ティナは、ケガないの? 大丈夫? 泳げないのに、よく平気だったね!」
 心から心配そうに言葉をかけてくれるが、ティナは少年の無邪気に放った一言に、ぱっと頬を染めた。
「ちょっ…泳げないとか、こんなところで堂々と口にするのは…!!」
「…はー、あんた、泳げんかったんかい」
「どうりで、沈むのが早かったな」
 後ろで男たちがしみじみと呟く。
 ティナが振り向いて抗議の声を上げようとしたとき、
「おおっ!! ティナたち、無事だったんだな!」
「ティナさん!! アルフェリアさんに、カイオスも! 無事だったんですねっ」
 ロイドと、アベルだ。
 その背後には、相変わらずローブをまとったジェイドや、ゼルリアの女将軍サラのほか、海賊の面々が顔をそろえている。
 あちこちケガをして、疲れた様子ではあるが、皆無事のようだ。
「何があったんですかー? というか、どうやって戻ってきたか、知りたいんですけれど」
「あ、それは…――ちょっと長くなるけど」
 ティナはあいまいに笑って、しかし手の中の、石の欠片を皆の前に差し出した。
「はい、闇の石版。ひとつ目、見つかったわよ」
 この言葉に、歓声と、驚きの声が上がる。
 めったにお目にかかれるようなものでない、石の欠片を覗き込もうと、海賊たちが一斉に駆け寄ってきた。
「すげーな! こんなにちっちゃいもんなのか?」
「ちょっと、見えねーよ!」
「待て待て、押すなって!」
「これが…そうなのか」
「すごいわねー。じゃあ、イクシオンは片付いたのね」
 口々に声を上げる皆に対し、アルフェリアが苦笑しながら、割って入る。
「まあ、こんなところで騒がなくても、後でゆっくり見ればいいじゃねーか。それより、中に入らねーか? ここじゃ寒いよ」
「! そうだな、確かに」
「あんたたち、体冷えてるでしょ。待ってて、すぐにスープあっためてくるから」
 ロイドがぽん、と手を打つ横で、はっとしたようにジェーンが船内に入っていく。
 ありがとな、とアルフェリアがその背に声を掛けて、一旦全員が、船内に足を向けた。

「…おい」
 みなの足にあわせ、船内へと向かっていたカイオスの背後から、ふと声がかけられる。
「…」
 振り返ると、そこには、黒髪の女将軍が、気まずそうな表情をして立っていた。
「………。お前の言ったことは、正しかったんだな」
「…」
 かみ締めるように、彼女は言葉をはじき出す。
 思えば――デライザーグの港を出港してからこの方、最初から最後まで、彼女は言葉にこそださないが、どこか彼の言葉に対して、常に疑いの目線を向けていた。
 それは、彼にとっては特に珍しいことでもなかったので、気には留めなかったのだが。
「一つ、聞きたい。検問で、あえてあんな入国の仕方をしたのは、このことを知っていたからなのか」
 言葉を紡いだサラの黒いストレートが、風にふわりと舞った。
 アクアヴェイル公国と、常に戦争状態のゼルリア。そんな国に入国しようとするアクアヴェイル人は、数こそ少ないが、入国が一切できないわけではない。
 ただ、やはり敵国同士の手前、入国のための手続きに、かなりの時間を割くことになってしまう。
 王女を連れていなかった彼が、混乱を恐れて正規の手続きを踏んでいたら、おそらく一週間はかかっていた――その間に、イクシオンが暴走しないでいたか。
 答えは、――分からない。
「お前は、検問で『正規の手続きを踏んでいたら、それでは間に合わない』といったな。――そういうことだったんだろ」
「………」
 彼は、答えなかった。
 ただ、女将軍に向かって言った。
「よかったな。デライザーグが無事で」
「…」
 サラが声をかける間もなく、彼はすたすたと歩き去ってしまった。


「はへー、そんなことがあったのか」
 テーブルにひじを着いて、冒険譚を聞く子供のような表情をしたロイドは、アルフェリアとティナの話を聞き終わると、一つため息をついた。
 船内一広い部屋でも、さすがに全員は入りきらなかったので、とりあえず、ティナ、カイオス、アルフェリアの三人に、アベルとクルス、そしてロイド、ジェイド、サラが顔を合わせていた。
 ジェーンの出してくれた料理を、ゆっくりと口に運びながら、ティナはこっくりと頷く。
「ま、とりあえず、聖獣と石版は無事に分離できたし。デライザーグもこれで安心だと思う」
 本当に軽く説明しただけだったので、妾将軍の宝のことやなにやらは、自然に省いた感じになってしまったが、とりあえずのことは伝わったようだ。
「そっか。じゃあ、昼にでも船を出すかな。あんたらがなかなか海から上がってこねーから、明るくなったらすぐに探しにいけるように、船の修理をしといたんだ。いつでも出航できるよ」
「うん」
 ティナは、こっくりと頷く。
 彼らとも、デライザーグに帰ったらお別れなのか。
 そう考えると、少し寂しい気がした。
「そういえば、ゼルリアの国王に、何か報告しなきゃいけないんじゃなかったっけ?」
 デライザーグで思い出して、ティナはふっと口にする。
 そもそもゼルリアに向かっていたのは、石版が砕け散ったことの真相を、アベルらの口から直接ゼルリア国王に伝えるためだった。
 道中、いろいろなごたごたがあって、結局いまだそれを果たせていない。
「あ、そういえば、そうですねー。アルフェリアさん、デライザーグからこの海域に出航する前に、一旦お城に戻られましたけど、その時何か伝えてくださったんですか?」
 アベルがゼルリア将軍に問うと、彼は首を横に振った。
「いや、何も言っていませんよ」
「そうですかー。まあ、そこらへんは、カイオスがてきとーにごまかしますよねっ。あ、あと私のことは、敬語とか使わなくってもいいですからー。ふつーに話してください」
「…はあ、じゃあ、お言葉に甘えて」
 ぱちぱちと瞬いたアルフェリアは、慣れない様子で頭をかく。
 サラも、眉をひそめていた。
 アベルは、過去にこの二人と話したことがないのだろうか…。
「ミルガウスの前のシルヴェアは、徹底的に、公の場から女性を排していた」
 ティナの疑問を感じ取ったのか、隣に座るサラが囁いた。
 テーブルは、ゼルリア王との謁見の話題に移っている。
 話を乱さないように、声量に配慮して、ティナも小声で返した。
「うん」
「まあ、個人的な話になるが、私もそれでシルヴェアを出て、ゼルリアに移ったんだ。建国者が女性のゼルリア――当時はチェラという名だったが――ともかく、そんな国ならば、こんな性別でも仕官の機会はあったからな」
「え、そうだったんだ」
 もとは、シルヴェアの人間――ティナが目を見開くと、サラは微かにわらう。
「そんなだから、王族であっても、まったく衆目にさらされることは無かったな。ミルガウスになってからだよ。遠巻きにでも、姿を拝見したのは」
 まさか、噂の第二王女が、こんな少女だとは思わなかったが。
 と、サラは肩を竦める。
 納得する一方で、ティナはアベルの境遇について、少し考えてみた。
 衆目にさらされない、と言うことは、アベル自身もほとんど人と関わらない生活をしていた、ということなんじゃないだろうか。
(どうりで、世間知らずなわけね)
 いや、むやみやたらに、世間に精通した姫君もある意味どうかと思うが。
 ティナは苦笑して、スープを再び口に運ぶ。
 そんな彼女に、サラは再び話しかけた。
「なあ、あなたが持っているその鏡、随分と古いものだが、一体…」
「え、これ?」
 ティナは、ふっと笑う。
 話の都合上、宝がどうとか言うことは省いていたが、彼女は呟いた。
「妾将軍の秘宝よ」
「そんなものが?」
「うん」
 ティナは、ふっと微笑む。
 同時に、別れ際、イクシオンが紡いだ彼自身の名を思い出していた。

 氷のように透き通った笑みを浮かべた妾将軍の守護聖獣は、あの時確かに、こういった。

 『デュオン』と。

 ――デュオン。
 それは、今を遡ること百年前、ミルガウスがまだソエラ朝と呼ばれていた時代、空前絶後の大版図を実現し、巨大な帝国を築いた、一人の王の名だった。
 彼の『妾』であった女性は、『一番愛した人の名を』、自分の大切な守護聖獣にたくしたのだ。
(ひょっとしたら)
 と、ティナは思う。
 『妾将軍の秘宝』は、イクシオン自身だったんじゃないかしらね、と。
 夢で見た彼女は、『わたしの心と思いを今日捨てていく』といった。
 それを護って、とも。
 だが、彼女がその時『捨てていった』大切なものの中には、イクシオン自身も入っているわけで。
 もっとも――妾将軍の心の中など分からないけれど。
 ただ一つ確かなのは、『妾将軍の秘宝』が、『神降ろしの剣』だの『真実を映す鏡』だのなどではなく、あまりに女性らしい質素な手鏡だった、ということだけ――。
「………」
 カレン、と文字の刻み込まれた鏡の背をなでて、ティナは薄く笑った。


 エメラルドグリーンの波が、幾重にも重なりながら流れていた。
 遥か彼方。陽の光の降り注ぐ海面が、やさしい白に淡く染まっている。
 ふっと横切っていく黒い影は、魚の陰影か。
 気泡が、くゆり、溶けていく。
 時の止まった無音の空間。
 外界から隔絶された、深い海のさらに底。

「………」
 海底都市のゆるやかな空気に身を沈め、デュオンは薄く笑った。
 傷ついた身体は、彼に眠りを強制する。
 抗うことなく、デュオンはまぶたを閉じた。
 今度の眠りは、きっと短いはずだ。
 夢は、すでに覚めたのだから。
 だが、それにしても。
「…聖獣の夢に、同調できる娘がいるなんて」
 まっすぐな紫の目をした、少女。
 しかし、その像も、けだるい眠気の中にうずもれていく。
 彼は深く息を吐く。
 身体の力を抜く。
 沈み込んでいく意識の中で、彼は確かに、主の声を聞いた。
 心地よい過去の音色に身をゆだね。
 デュオンは眠りにつく。
 自身の名を抱きしめて。

 妾将軍の、宝の海域と呼ばれる場所で。

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