「しかし…不思議なものだな」
小さくなる船の影を、部下たちと共にデライザーグの港で見送りながら、ゼルリア国王ダルウィンは、思案深げに呟いた。
完全に独り言のつもりだったが、聞きとがめたサラが、何がです? と聞き返す。
彼は、そちらを振り返って、苦笑しながら、自身の懸念を口にした。
「いや…あの紫欄の目の娘…――どこかで会ったことのある気がする」
「…陛下、またソレですか」
サラだけでなく、ベアトリクスやピンク・ジョニーの視線も若き国王に集まる。
全員の胸中を代弁するように、サラは言葉を重ねた。
「女性が好きなのは分かりますが、立場をわきまえてください。だれそれ構わず…」
年若き国王は、無類の女性好きだ。
といっても、あくまでサロンでの『お付き合い』の程度で、どろどろした男女の駆け引きとは遠いものではある。
むしろ、紳士的な態度が貴族の令嬢にとても評判がいい。
巷の噂では、間違ってミルガウスの左大臣を口説きかけたこともあるというが、真実のほどは定かではない。
ただ、実はどうであれ、軍事大国の絶対君主が女性好きだとは、さすがに聞こえが悪いので、部下たちは自然に主の女性好きを諫めることが多かった。
「いや…そうではないのだよ、サラ」
「何が『そうではない』のですか。あなたが女の話題で『そうではない』ことをした覚えがないのですが」
「随分と信用がないな」
「ご自身の行動を良く考えてみてください」
サラは、相手が同盟国の左大臣だろうと、自国の国王だろうと、遠慮がない。
見かねたジョニーがやんわりと割って入った。
「まあまあ、サラ嬢や、ちょっと陛下の言い分も聞いて差し上げようじゃないか」
「…ジョニーがそういうなら」
しぶしぶとサラが口閉ざす。
ジョニーが目で促して、ダルウィンはやっと微笑んで語り始めた。
「彼女とは、――そう、一度会ったことがある気がする。十年以上前のことだ。あの不思議な瞳の色は、間違えようがない」
懐かしそうに語る表情は、しかし一片の不審をはらんでいる。
部下たちは、沈黙のうちに彼の言葉を待つ。
やがて、再び語るダルウィンの口元には、苦笑の色があった。
「だが…不思議なものだ。私は、十年以上前のあの日、あの姿のままの彼女に会ったんだ」
「あの姿のままの…とは」
「齢十六七か…、十年前に会った『彼女』も、そんな年頃に紫欄の瞳をあわせ持った、神秘的な雰囲気を携えた人物だった」
ベアトリクスの問いかけに、王は穏やかに笑う。
闇と一体になりつつある船の陰影を、目を細めて遠く見遣る。
「私が女性を見間違えるはずがないから…あれは同一人物だと思うのだが…――だとすると、不思議なこともあるものだと思ってな…」
十年前に十七だった娘が、同じ年のまま目の前に現れた。
ダルウィンが女性に関しては人違いをしないのは、部下の間でも定評があるので、おそらく彼のいうことは、それなりに信じられることなのだろうが。
「その娘さんとは、いつお会いになったので?」
「いつだったか…。そう、確か祖父王の長寿をお祝いするために、秘境で不死鳥を祭っている一族が訪れてくれたのだった。そのときの、巫女が彼女だった」
「不死鳥…」
ベアトリクスが、王の言葉を受けて呟く。
彼女の隣りに佇むジョニーは、鼻の頭をぽりぽりとかいて、長身の王を見上げた。
「畏れながら、わたしの記憶が正しければ、不死鳥を祭る村は、十年前、『黒き竜』に襲われ、村人は全滅したはずですよ」
「…黒き竜――あの、石版が砕け散るという前触れの」
「ええ。生存者は、いなかったように思います」
「………そうか」
信頼する壮年の部下の言葉に、若き王は微かに残念そうな調子をにじませて、頷いた。
「では、私の勘違いだな…」
多少寂しそうに彼は、沖合いを見遣る。
既に見えない船の陰影を捜すように目を細め、口の中で、小さく呟いた。
できることなら、彼らの旅路に、光のあらんことを。
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