「…っ」
目の端に涙をためながらも、気丈にこちらを見返してきた王女をちらりと睥睨して、ジェイドは、指の間にはせた短剣を軽く振った。
その中の一つ――暗殺者の腕を打ちぬいた剣を、ぎゃあぎゃあわめく男の傍らまで歩み寄り、容赦なく引き抜く。
「が!」
「三流か」
ぼそりと呟く。
ばかな男だ。
さっさと姫を殺していれば、間に合っていたものを。
暗殺は瞬殺。
こんな鉄則も知らないで、裏の世界で仕事を任されているのか。
「な…」
ぎらぎらとした視線をこちらに向けた男は、骨ばった顔を憎悪の形にゆがめた。
痛みに血走った瞳を、極限まで見開き、自分の嗜好を邪魔した男を刺すように見つめる。
ほとばしる殺気を、ローブの男は軽く受け流した。
指の間の細い短剣を軽く振り、ちょいちょいと手招きをする。
「こ、この…!!」
血のほとばしる腕をよそに、男は激昂した。
そのまま頭から突っ込んで行く。
だが、余裕を持った動きに軽く翻弄されて、たたらを踏んだ。
「な…!!」
風のように奔放な、舞うように軽やかな動き。
絶妙な足裁きで背後を取り、すっと首筋に短剣をつきつけた。
「どうする? まだやるか」
「…っ」
ぎり、と口をかみ締めた彼は、だがさすがに職業意識が働いたのか、突然表情を消した。
「…」
さっとその姿が掻き消える。
風に溶けるように。
――否。
(上か)
ばん、と一気に岩の天井まで跳ね上がった体が、天井を足がかりに一気にこちらに突進する。
すっと身体を引いて彼は避けた。
最初の一撃で、力が弱点なことを悟られたか。
武器自体の殺傷力の限界もあるが、彼の力では、男の腕を吹き飛ばすことはできなかった。
「…」
そのまま空気に身体を流し行くように、体を入れ替えていく。
執拗に迫る暗殺者。
さすがに呼吸が読めない。
「邪魔をするな…」
ぼそぼそと低い声が風に乗って届く。
飛来する剣を左右に振って捌く。
誘いには引っかからない。
的確に、動きを読んで対応してくる――
「…」
ちらり、と彼は視線を上げた。
動きにくいローブをかぶったままだと、ヤりにくい相手だ。
動きが激しすぎて、魔法を詠唱している暇もない。
だが、それでも。
「まだ、遅いな」
前ぶれもなく、ひゅっと風を切って、彼は速度を上げると、相手の後ろに回り込んだ。
突然消えた敵。けはいを辿って、とっさに身体をひねって対応した相手はさすがだが、不安定な足を、蹴り崩してやる。
「くそ…」
倒れながらも相手の繰り出した短剣が、彼の頬を掠ったが、副船長は気にも留めなかった。
そのまま細い剣を相手の胸につきたてる。
「…!!」
短い痙攣の後、男は動かなくなった。
完全に息がなくなったのを確認して、ジェイドは身体を起こすと、捕らわれた姫に向き直る。
「…」
ぐったりと身体を地に横たえたテスタロッサ姫は、まったく息をしていないかのようにも見えた。
そっと近づき、戒めを全て解いてやると、やがて身体を起こす。
青ざめた顔に、一筋の赤い線。
ぎりぎりのところだったか。
ため息混じりに思いながらも、もう少年兵の言うところの『助ける』ところまでは済ませた、と副船長はさっさと踵を返す。
洞窟を去ろうとしたとき。
「待って」
背中から、声がした。
■
「待って…」
震える足で地を踏みしめ、震える声で呟きながら、テスタロッサは相手を見つめていた。
夕日の中に消えていこうとするローブは、足を止めて立ち止まる。
だが、振り向かない。
無関心な背中だけが、つれない沈黙をまとって、かろうじてそこに居た。
次の言葉を言わなければ、そのまま歩き去ってしまいそうな――。
「あのね…」
まだ、整わない呼吸を懸命に抑えて、彼女は息を呑んだ。
上ずった声は、何とか言葉になった。
「助けてくれて…ありがとう…」
何とかそれだけ吐き出すと、もう限界だった。
「っ…」
がくがくとする足が崩れ落ちて行く。
座り込んで、何とか手で身体を支えて、彼女は唇を噛んだ。
こんな姿を、人には見られたくはなかった。
最低限、何とか伝えた感謝の思い。
伝わったのならば、早く、歩きさってくれればいい――。
そうしたら、思い切り身体を投げ出して、思い切り、泣けるのに――
「…」
地面にはいつくばって息を正す。
しばらくして、もう行ったかしらと思ったとき、ふと風が彼女を包み込んだ。
あたたかい風。
包み込むように彼女にまとわり、流れ込むように穏やかに吹き抜けていく。
「…?」
呼吸がらくになり、身体が少しだけ軽くなる。
視線を上げると、ローブの男が目の前に居た。
いつのまに近寄ってきたのだろうか。
細い指がかざされた箇所から、力が流れ込んでくる――。
「あ…」
「………」
森の中で盗賊に襲われているを助けられてから、ルーラの王城にたどり着くまで。
一言として言葉を発さなかった男は、やがて、低く尋ねた。
「やっぱり、あの城に帰るのか」
ティナたちの話から、海賊だと聞いていたのに、その言葉のアクセントは、粗野な海賊の使う言葉ではなく、大陸にあまねく流通する、きれいなミルガウスのそれだった。
「あ…」
彼が話かけてきた意図が分からず、彼女は一瞬戸惑う。
その間に、ローブの男は話しかけたこと自体を悔やむように、さっと立ち上がりかけていた。
ひょっとして自分のことを心配してくれたのかしら。
だとしたら、失礼な対応をしてしまった。
慌てて彼女は口を開いた。
心臓が、どきどきとしていた。
「あのね…そう、帰るの」
細い声でそういうと、彼は背中で立ち止まる。
テスタロッサも、ゆるゆると立ち上がった。
今度は、だいぶましに立てた。
明るく、前向きに紡ぐ。
「私の国だしね」
「…あなたの居場所がなくても?」
囁かれるように尋ねられた言葉が、意外だった。
先回りするような内容は、彼女の境遇をどこかで聞き知っているからだろうか。
彼女が王宮内でうとまれていること。
けれど、そんなことを気遣うような人間には、思えなかったから。
とても意外だった。
だが、不思議といやな感じはしなくて、彼女はこっくりと頷く。
「ええ」
「…変わった人だ」
「そうかしら」
話していると、不思議と懐かしい感じがする。
声は、淡々としすぎているし、ぶっきらぼうだけれども。
誰かに頼まれたのか、それとも自分から来てくれたのか――とにかく、ちゃんと彼女を助けてくれた。
今も、ちゃんと立ち止まって話をしてくれている。
見かけどおりの、冷たいだけの人じゃないのかもしれない…
「あのね…いいかしら。あなたは、私の良く知っている人に似ているの」
ふわりと微笑んで、彼女は切り出していた。
「………」
「気を悪くしないでね。私の、婚約者だった人なんだけど」
風に流すように彼女は言葉を重ねていく。
微かな親しみを込めて。
「…」
「今は海に落ちて行方不明なんだけど…あなたも海賊だし、ひょっとしたら、海で会うかもね」
「死んだ」
弾むように彼女しゃべっていた。
だから最初、背中越しに呟かれた言葉はよく聞き取れなかった。
「え?」
「その男は死んだ」
残酷なほどにあっさりと、男は告げた。
それが彼女に届くのに、少し時間がかかった。
そして、その言葉を理解した瞬間、テスタロッサは何か、鈍器で頭を殴られたような気がした。
収まった筈の震えが、再び足元から這い上がってくる。
ウソよ、と叫ぶ自分と、どうして知っているの、と叫ぶ自分が、頭の中で絶叫していた。
「…なんで…どういうこと?」
胸に枷をはめられたように、呼吸が苦しい。
だが、その苦しさに構うことなく、淡々と声は紡がれていく。
「――その男は、生きてある海賊船に流れ着いた。そして、そこで死んだんだ」
『フェイ王子』なんて、もういない。
存在しない。
生まれたときから感情を宿してないような。
そんな声がどこか諭すように、テスタロッサを打った。
「…」
きゅっと彼女は手を握る。
そのまますたすたとローブの男に歩み寄った。
けはいを感じたのか、彼は振り返る。
その無防備な顔に向かって、彼女は平手をたたきつけた。
ぱん、と乾いた音。
涙をいっぱいにためた瞳で、きっと相手を見つめて、ルーラの王女は、男をはたいた手をぎゅっと握り締めた。
どきどきとした鼓動は、止められなかった。
その、あふれでる思いも。
「どうして…っ」
かみ締めた口から、血が滲む。
「どうして…!!」
流れ落ちた涙の筋は、もう止めようがなかった。
叫ぶように、彼女は言った。
ローブは、突然の無礼にも、特に激した様子なかった。
ただ、同じ調子で紡いでいく。
「いない男を追いかけるのは、いい加減にしたらどうだ」
「なんで…っ」
「…」
「どうして、そんなこと言うの!?」
血を吐くように、彼女は叫んだ。
頭が混乱していて、それ以上に悲しくて、腹立たしくて、どうしようもなかった。
殺されかけて、助けてくれた相手に、そんな残酷なことを告げられて――
「どうして…!! どうして…」
うっと、詰まりながらも、テスタロッサは弾けとんだ感情を止めることができなかった。
高ぶった怒りは、そのまま力任せに彼女を翻弄して、テッサはいつの間にか、力の限り叫んでいた。
「どうして、夢を見させてくれないのよ!!」
「…」
「分かってる…本当は、わかってるわよ! もう…望みなんか、ないって!!! けど、だけど…それにすがる以外、あの場所でどうやって生きていけって言うの…!?」
フェイ王子の――シルヴェア国の、しかも石版を砕け散らせたと噂される王子。
彼は死んだけれども、彼の婚約者だった、という『肩書き』だけは、その後も生き続けた。
そして、それは何かしらシルヴェア――そして、ミルガウスと問題が起こるたびに持ちあがり続けた。
王家の人間はいつもそれを邪魔にしていたし、彼女もその圧力から逃れるために、シルヴェア側と少しでも関係をよくする立場に回らざるを得なかった。
どうせ、自分は『シルヴェア派の人間』としてしか見られないのだ。
周りからは。
どうがんばっても――
そんな彼女はますます王家の人間から煙たがられるようになった。
だから、逃げ出した。
あの国から。
行く先は、どこでもよかった。
本当に、行くあてがあったわけではなかった。
ただ、逃げ出したかったのだ。
「っ………」
長い間、胸につかえた思いは、止めようもなかった。
子供のように泣きながら、彼女は吐き出すように告げた。
「私をね…殺そうとしたのは、私のお父様なの…」
息が上がる。
嗚咽が漏れる。
悲しくて、つらくて、本当にどうしようもなかった。
大好きな人と別れた後、大好きな――大好きだった人間たちに疎まれ続ける生活。
そして、それはとうとう『ここまで』来てしまった。
バカみたい、私。
何で、こんなひどい人に、こんなことまで言っているのかしら。
けれども、流れだした言葉は、止められない。
どう取り繕おうとしても。
もう、限界だった。
「…」
ローブは何も言わない。
彼女は、ただ落とすように吐き出し続ける。
あまりに、お城の中で嫌われ続けるのはつらかったから――
「あの人が生きているって…いつか、私を救い出しに来てくれるって…信じるしかなかった」
しゃくりあげながら、だがどこかあきらめたように静かに言った言葉が終わらないうちに、ふわり、と身体が抱き寄せられていた。
「!?」
突然のことにびっくりとして、彼女はぱちぱちと瞬く。
再びいつの間にか――テスタロッサの近くまで来た彼が、そっと彼女を抱きしめていた。
ローブにくるむように。
包み込むように。
「…」
布越しに感じる体温は、意外と温かく、やわらかく、そして優しかった。
変な人。
彼女は思う。
――変な人。
希望をなくすようなことを言ったくせに、こうして慰めるようなことをしてくれる。
「…」
ふっと目を閉じて、彼女は身を預けた。
そのあたたかさは、遥か昔に花をくれた、あの人のぬくもりに似ていた。
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