Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  終章 それぞれの結末 
* * *
――シェーレン国 死に絶えた都『中央王墓』



 属性継承者の呼び出した水は、その力の干渉を失って今は静かに床をひたしていた。
 王墓をあふれた水は、広大な遺跡の大部分へと流れ込み、膝ほどの高さに落ち着いている。

「…ぐ………」
 王墓の床は、激しい戦闘の名残だけを残し、幾多の残骸を水面に漂わせている。
 倒れる――男の真紅の血をも滲ませながら。
「くそ…」
 意思を取り戻したカイオス・レリュードに一閃の下に斬り下げられて、そのまま動くことも出来ず、生き地獄をさまよっていたダグラスは、その傷の上げる激痛と、孤独に闘っていた。
 呻いても、もがいても、体力の落ちた身体は動かすこともできない。
 立つことも、歩くことも、――まして、逃げ出すことも不可能だった。
 冷たい水に触れたまま、体力は落ちていき――目がかすんで暗い闇が視界を覆っていき――。
 ほとんど、意識を手放しながらも、ダグラスはそれでも命を持て余していた。
「くそ…あいつめ…」
 全ての原因は、失敗作だった。
 それは、彼の中で紛うことなき事実だ。
 あの失敗作が全部悪い。
 自分の腕が斬り落とされたのも、あの女を殺し損ねたのも――七君主が…。
「あの方が…」
 まさか、七君主が退くなどということは、彼の中ではありえなかった。
 そういえば、と思い至る。
 戦いの混乱で、彼は気付かなかった。
 あの女どもが、光の魔方陣とともに消えてから。
 七君主が撃退された後の、『ダグラス・セントア・ブルグレア』の抜け殻は、どこに行ってしまったのだろうか。
「………」
 考えることは、答えのでないことばかり。
 それで痛みが和らぐわけでもない。
 意識は、黒い闇に侵されていく。
 眠るように、目は閉じていく。
 終わりか、と感じた。
 終わる前に、――せめて、あの失敗作に…。
「…制裁…を………」
「なにが、ですの」
「………」
 口を動かしたが、くぐもったうめき声がかろうじて漏れただけだった。
「まったく…ルーラ国で、笑い出した挙句に消えちゃうんだもの」
「シェーレン国って言葉を聞いてたから、まさかと思って来てみましたけれど…」
「ずいぶんな状態ね」
「といいますか、なんで、ここが水浸しに…」
「な…ぜ…」
 かすれた声を上げると、以前に彼を助けたことのある二人組は、くすりと微笑んだ気がした。
「縁、ですわね」
「縁ね」
「…」
 こんなところまで来るわたしたちも、どうかと思うけど、とウェイはふ、と笑った。
「さて…こんなところ、さっさと出ましょうか」
「そうですわね…」
 二人の淑女の腕が、ダグラスに触れる。
 それは、彼に耐え難い激痛を感じさせたが、同時に生きているのだという実感を与えた。
 そこに生まれた安心感を抱きしめて、彼は意識を手放していった。


――………。

 ジュレスとウェイが、ダグラスを連れて王墓を出て行った後――。
 そこには、真に静寂の時が訪れていた。
 水が、さやいでいる。
 風が、さやいでいる。
 不意に、全てが途切れたとき、王墓の中央が――そこに漂っていた瓦礫の欠片が――ふわりと、発光した。

――まったく…なかなかやってくれる。

 人間だと思って油断したな、と欠片は囁いた。

――媒介から剥ぎ取られたときに、とっさに隠してたこの欠片に乗り移れたからよかったが…。

 ダグラスも、どこかに消えちゃったしねえ…これからどうしよっか、と欠片はさやさやと呟いた。
 人間と違って、『闇の石板』とは言え、たかだか石の欠片。
 足を生やして歩くわけにもいかない。

――…まあ、やり方はある…暫くは、あいつを泳がせておいてやるか…。

 残念だったね、人間、と彼は再び呟いた。
 お前の『悪夢』は――まだ、潰えていない、と。


――シェーレン国 海辺の村



 ただ、一人漂っていた…。



――私の身など――世界など、どうなってもいい。カイオスを…生き返らせてくれ。



「わたしは…正しかったのか…」
 壮年の男は、足をひきずりながら、さまよっていた。
 肩を落とし、目はくぼみ、背は丸まって、まるで老人が嘆いているようだった。
 寄る辺も…行くあても…なく。
 絶望の終わりに向かって、穏やかに時を刻む。
 彼は、疲れ果てていた。
 深く――先の見えない闇に捕らわれて。



――本当に、いいのか?

――何がです?

――お前は――息子のために、本当に命を投げ打つ覚悟があるのか、と聞いているんだ。

――ええ。私は、一度あなたを裏切った。せめて、息子には償いをしなければ。

――七君主の降臨に必要なのは、『拠り代となる人間』と『生贄となる人間』…。

――…分かっております。この子を…お願いします。

――ああ。



 自分は、あの約束を果たせたのだろうか。
 七君主の中にいて、彼は『彼』が苦しんでいるのをじっと見続けてきた。
 窓もない部屋に閉じ込められ、逃げ出せば執拗に追われ、手を汚して、心を引き裂かれた。
 その『彼』が、再びミルガウスに――シルヴェアにたどり着いたのは、何の輪廻のいたずらか。
 そして…。
「わたしは…自由になった…あれのおかげで…」
 しかし、七君主は滅びたわけではない。
 彼には分かる。
 十年近く、身体を共有して来たのだ。
 そのくらいのけはいは――あの、どす黒い邪悪な波動は彼に届いていた。
 そのけはいが、自分の『大切なもの』に何をもたらすつもりなのかも。
「…させは、しない」
 自身の身体を引きずるように持て余しながら、男はぽつりと呟いた。
「わが存在にかけて…必ず…」
 衰えた容貌の中で、その瞳は光を失ってはいなかった。
「…」
 男は、身体を動かし続ける。
 過酷な砂漠の只中を、唯一つの目的地に向かって。
「我が名は、ダグラス・セントア・ブルグレア…!!」
 それをただ一つのよりどころとするように、彼は鉛の足を引きずり続けた。
 自らの成すことを成すために。
 唯一つの地を――祖国を、目指して。


第四話 熱砂に揺れる狂気 完
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