――シルヴェア王国 シルヴェア城 謁見の間
千年王国。
永遠に輝く、世界の要。
そう讃えられた、シルヴェア国の燦然とした王宮には、――いまや、血の匂いと緊張が立ち込めていた。
闇の石板の決壊、そして、それに伴う王位継承者たちの、死。
半年ほどで、名だたる官の半分ほどが、いつの間にか姿を消していた。
いずれも、堅実に、誠実に国を支えてきた者たち。
若木が伸び行くような季節の若者も、どっしりと地に根を張った老木のような熟練の官吏も――。
その、功績を報われることなく、ある者は国を追われ、ある者は先人の墓碑の端に、空しく名を加えた。
ただ――彼らは『幸せ』だったのかも知れない――残った者の見る、『地獄』を知らずに済んだのだから…。
「ジェレイド!」
彼は、廊下を肩をおとして進む同僚を、呼び止めた。
付き添った衛兵が敬礼し、拘束をゆるめる。
ひょいっとこちらを見た、黒い髪の少年は、見知った顔に眉を上げ、唇の端を上げた。
王国の『永久追放』を言い渡されたとは思えない、飄々とした雰囲気だった。
「おー。次期右大臣候補どのが、『反逆者』に何の用だ?」
「ジェレイド…」
彼は、言葉を失う。
話に聞いたときは、まさか、と思った。
確かな交渉力と、知識、立ち回り。
次期太政大臣の候補として、コークス家のシルヴァードと並び称される、将来のシルヴェアを支えるといわれる人物だ。
「…ぬかったよ…。あのおっさんにハメられた」
「まさか」
「ああ。国王に、内々に『禁断の文献』を読み解けといわれて――言葉どおり解読したら、『禁断の書を持ち出した罪で、国外追放』だとさ」
「………」
彼は、絶句した。
国王の決定など、意に介さない体でへらへらしているジェレイドを、数秒間、ただ見つめる。
「…シルヴァードや、三大臣どのたちに、迷惑かからなきゃ、いいんだがな…」
そんな彼の前で、少年は、遠くを見つめた。
猫のように、まんべんなく周囲に向けられたジェレイドの大きな目が、ふいっと彼を見て、動きを止めた。
「どーやら国王陛下は、『現在(いま)』だけでなく、『未来』のシルヴェアもツブす気でいるらしい」
お前も気を付けろ『未来の右大臣殿』と、目が笑っていた。
彼は、何も言えなかった。
言えないまま、棒のように立ち尽くして、ジェレイドが去っていくのを見ているしかなかった。
また、ひとつの『光』が去った――。
目をすがめ、彼はその末路を見つめる。
その境遇が、国名がミルガウスに移行した直後、自分に降りかかることになるのも、知らず――
■
――シェーレン国 シェーレンの王城
「我には、この国を――その、富と民の生活の安寧を保つ義務がある。そのための犠牲も仕方のないこと。ゆめゆめ…悟られては、ならぬぞ…!!」
女王のその言葉が、場の終焉を宣言した。
砂漠の国を統べる往年の女王と、若輩の水の巫女は去り、謁見の間には、彼と弟、そして特権階級に在る女兵が、所在無く巨大な空間に取れ残された。
(現在でなく、未来も…)
守るためのこの国の政策が、コレだというのだろうか。
彼は、ふとため息を押し殺し、遠い過去に思いを馳せた。
ジェレイドが国外追放になった直後、彼が懸念していた通り、シルヴァードも投獄の憂き目に遭い、その後三大臣のうち二大臣が極刑、そして彼自身も国を追われた――。
そして、その結果――一度は持ち直したかに思われた永遠の大国は、石板の崩壊とアレントゥムの悲劇を引き起こし――今だ、混迷の最中にある。
(未来は…)
どこにあるのだろうか。
彼は、ため息をついた。
■
広大な砂の大地が、天照らす太陽の光を反射して、眩しいばかりの輝きを放つ、第三大陸。
世界の物流が、一堂に集まる中心地――シェーレン国。
その、片隅のいくつかの地で、いくつかの小さな出来事が、ほとんど同時に起こっていた――。
■
――シェーレン国 港町
「…」
人気のいない砂漠の国の砂浜で、一人の混血児の少年が遊んでいた。
銀色の髪を夕日になびかせて、一心不乱に砂の城を作っている。
彼が、『奇妙な人間』たちに拾われたのは、アレントゥム自由市が崩壊する直前…――祭りで昂ぶる人々の気を鎮めるための、『生贄』として、街の中心で血祭りにあげられていたときだった。
海賊だという彼らは、少年を拾った挙句、どういうわけだか食事と寝場所を提供して、匿ってくれる。
船に、海賊以外の人間たちが乗り込んできてから、部屋の外に出してもらえることは少ないが、現在は外で遊ぶ時間を与えられることも多かった。
「…」
先ほどまで少年に付き添ってくれていたローブの人は、少し用事があるから、と一旦船にもどってしまっていた。
布の下にあるのは、少年と同じ色彩――『混血児』。
自分と同じ境遇だからだろうか。
少年にとっては、最も安心できる相手だ。
ローブが帰ってくるまでの間を、砂の城の完成に気をとられていた彼は、ふと、自分の背後から影が差したのに気付いて、視線を上げた。
(帰ってきた…?)
あの人が、戻ったきたんだろうか。
しかし、次の瞬間、身体を硬くした。
あの人じゃない。
あの人の身体の線は、こんなにもたくましいものではない。
彼ら以外の『人間』に見つかった。
それは、少年の中に、反射的にある一言を想起させた。
殺されてしまう…!?
「!?」
振り向こうとした少年を、その首よりも太さのある男のたくましい腕がつかむ。
一瞬の出来事だった。
目を見開いた混血児の少年をつれた男は、風に溶けるように消えていった。
「………」
誰もいない砂浜に、ローブの青年が戻ってきたのは、それからすぐのことだった。
アレントゥムで拾った混血児を、そこで遊ばせていた、はずだったのだが。
「…」
彫刻のような動きで、右、左。
確認したジェイドは、ぼそりと呟く。
「…いない」
遊び場には、まず一般人には見つからないような、閑散とした場所を選んでいる。
おいそれとしたことでは、連れ去られるわけがないのだが…。
「………」
砂だけが吹き抜ける海岸に、作りかけの砂の城が、悲しく崩れかけていた。
■
――シェーレン国 ???
「あれー?」
むくり、とクルスは身体を起こした。
節々が――そして、頭が妙に痛い。
砂漠にしては、ひんやりとした空気。
そして、陰りを落とした日陰の空間。
「…オレ…確か、兄貴としゃべってた…」
炎天下の砂漠の中で。
キルド族の『ナナシ』――民族主義の放浪民族の中で、異色の容姿を持つ人間――と、久々に本性を見せて話をした気がする。
「…なんで、砂漠じゃなくて、ここにいるんだろ…」
うー、と少年はうなだれる。
七君主との戦いで倒れたカイオス・レリュードと、彼を心配するティナと共に、クルスはシェーレン国の別荘地である緑の館に滞在していた。
そこに、兄である『キルド族のナナシ』が訪ねてきた。
彼自身に会ったの自体――何十年ぶりのことだろうか。
今は無きアレントゥム自由市『光と闇の陵墓』にて、不死鳥を見た、とナナシは言った。
そこには、揃うべきすべての者が、そろっていた、と。
魔王の降臨がなされても、なされなくても関係ない。
すべては、『予定通り』だと――。
(生き地獄を終わらせるため、か…)
クルスは、少年の外見にはそぐわない、重たい息をついた。
もう、『その時』までは、会うことがないと思っていた、唯一の肉親。
つまりは、『その時』が、近づいているということなのか。
「…う〜」
さしあたり、お腹がすいてしまった。
難しいことを考えると、余計に腹が減ってよろしくない。
「…ここどこ…? ティナの手料理食べたい…」
唇を尖らせて辺りを見回した少年の、無邪気に見開かれた大きな瞳が、それとは気付かないほど、微かに細まった。
(ここにいるの…オレだけじゃない)
幾人もの――幾十人もの、小柄な影。
接触してくるけはいはない。息をひそめて、こちらをじっとうかがっているようだ。
薄闇の中にあって、少年は、その髪の色が銀色――混血児、と呼ばれる者たちのものだということに、目ざとく気付いた。
そして、思った。
まさか、ここは。
(そういえば、オレ…)
記憶がなくなる直前、兄と話していた最中、突然彼を襲った出来事を、クルスはやっと思い出した。
突然、沸いて降って来たように、二人に襲い掛かった、幾人もの影。
生け捕りだ、攫え、と。
飛び交う怒号の中で拾った、いくつかの単語。
(オレ…)
ふう、と彼はため息をついた。
しまった、どうやら人攫いに捕まってしまったらしい。
「…ティナ〜」
悲しく呟く少年の声にあわせ、その腹の音が、調子を合わせるように、同時に鳴いた。
■
――シェーレン国 ???
砂漠を渡る風は、炎天の熱気を孕ませて、無遠慮に人間たちを撫ぜていく。
誇り高き王城――絶対秩序の中で、選ばれたもののみが、出入りすることができる――その廊下を、三人の人間が歩いている。
一人は、王城に住まうものの、特権的な礼装をした、二十半ばの女性。
もう二人は、――しかし、明らかに平民の粗末ないで立ちで、王城の清楚な礼儀方式から逸脱した奔放な振る舞いで、自由に場の空気をかきみだしている。
女は、そんな彼らから、距離をとるように、眉をひそめて二三歩遅れて付いてきていた。
彼女の嫌悪には気付かないように、二人の男のうちのひとり――好戦的な光を宿した少年は、頭の後ろで手を組みながら、軽い調子で呟いた。
「あーやれやれ。やっと、終わった。謁見なんていう堅苦しいのは、ホント勘弁だね。――で、アニキよ。結局、我らが女王は何と仰せだったのか?」
「――とにかく、『アレ』の存在が、ご客人にバレないように、細心の注意を尽くせ…と」
「なるほどね」
「ってか、お前さっきオレと一緒に聞いてただろ…」
「いやー、アニキが全部聞いて教えてくれるかなっと思って、ばばーの皺の数、かぞえてた」
「………」
話に応じる背の高い青年は、厳格そのものが形を成したような面持ちを、深く沈めた。
ため息にかぶせるように、背後から声が上がる。
「…まったく…。何という無礼を」
「「…」」
差し挟まれた女の硬い声に、二人は同時に振り返った。
二対の視線が眺める先に、あからさまに顔をゆがめた女の渋面がある。
「本来ならば、異国人であるのみならず、ならず者の棟梁たるお前たちが、やすやすと入れる場所ではないのだぞ。口と行動を慎みなさい」
「…」
「申し訳ない」
唇を尖らせた少年を目で制し、厳格な雰囲気を携えた男が、雰囲気そのものの口調で詫びた。
女は、苛立ちがおさまらない様子で、歯を噛みしめる。
「我が砂の国は、中継貿易で富を得ている。事が露見してみなさい…各国の信頼を一気に失って獲物が逃げて、あなたたちも、共倒れなのよ」
「そんな、危険なヤマに、誇り高き砂漠の覇者が、手を染めているなど」
「…口を慎め、といったはずだ!!」
「…」
無言のうちに、男たちは足を止めた。
同じく足を止めた女は、昂ぶった感情を隠そうともせず、その胸のうちを叫ぶ。
「シルヴェアを追われた、落ちぶれ者の分際で…。わが国の国策を愚弄するつもりか!?」
「「…」」
「お前たちの動向は、常に我らに見張られていること…よく、胸の内に刻んでおくといい…!! ミルガウスの左大臣と、ゼルリアの将軍への監視…怠るのではないぞ! 犬どもめ」
「…なっ…」
「仰せのとおりに」
身を乗り出しかけた少年を制して、厳格な男が額面どおりの言葉を口にする。
それを聞いた女は、苛立ちを抑えきらない様子で、靴音高くその場を去っていった。
■
「………。ありえねぇ」
「…」
「アニキも! 何でだまってんだよ」
女が去って、静寂が戻った後――。
自分たち以外の人間がいないのを確かめた後に、少年は唇を尖らせた。
「あの女…好き勝手、いいやがって…!! どっちが、『賊』だってんだよ」
「…オレたちが、シルヴェアを追われたのは、間違いない。そして、この国で闇の売買に手を染めていることも、な」
「けど!」
「賢王の粛清…か」
ため息をついた青年は、自らの弟を見た。
やるせない苛立ちと不満を持った目を見て、静かに語る。
「過ぎたことを悔やんでも仕方がないだろう…。今は、自分たちのやることをやるだけだ」
「…本当は…」
視線を外した少年は、拗ねたように呟いた。
「…」
「本当は、賢王の粛清…。あんなことさえなけりゃ…今頃は…あんたが…ミルガウスの…!」
「………」
力のない呟きに、青年は視線落とした。
弟の言葉の先を封じるように、彼は話題を変えた。
「ミルガウスの左大臣の監視は、滞りないか」
「ああ。暇なとき、やってる。アニキの言うとおり…『気配』をわざと、感づかせて」
「…」
「今朝方も、こっそりまき割してたぞーあの左大臣。実は結構庶民派なんじゃねーのとか思ってんだけど」
「…ぬかるなよ」
「ああ」
「では、オレはゼルリアの将軍どのの動向を見てこよう」
「おー」
二人の男は、そこで進路を違えた。
城下へと進む少年は、胸に溜まった苛立ちに、忌々しげに舌打ちする。
兄にたしなめられて、一応怒りは収まったが、それで何かが発散できたわけではない。
「…ちょっと美人の財布でも、スってくっかな〜」
呟いて彼は、方向を『緑の館』から、『城下の裏町』へと設定して、賑わう砂漠の露店の間を、風のようにすり抜けていった。
■
「…」
二人の男と別れた後、特権的な階級の衣をまとったその女は、重いため息をついていた。
盗賊風情に投げかけられた言葉の一欠けらが、深くその胸に響いていた。
――そんな、危険なヤマに、誇り高き砂漠の覇者が、手を染めているなど。
「………」
分かっている。
その、危険なことと、人道にもとる行為であることは。
しかし。
「…女王の、おおせに従うだけ…」
ため息をついて、彼女は自分に思い切りをつけるように、守護する主の元へと――『水の巫女』と呼ばれる彼女の元へと足を向けた。
■
――シェーレン国 王城
「…」
一人の少女が、佇んでいた。
年のころは、二十を過ぎた頃――。
砂漠の民の持つ、褐色の肌は、強すぎる太陽の光から隠すためにヴェールの向こうで沈んでいる。
「私は…」
その唇が、ぽつりと音を落とす。
謁見の間で、突きつけられた言葉。
絶対的な力を持つ、三十年もの長きに渡って治世を敷いた女王…。
――黙れ、小娘が。物を知らぬお前ごときに、何が分かるという!
「…」
――『水の巫女』とはいえ、わらわに対しての分をわきまえぬ発言、二度とは許すまいぞ。
「何のために…」
唇が開き、愕然とした音をこぼした。
何のために、祭り上げられているのか。
その意味を、彼女は見出せないでいた。
「私は…」
『水の巫女』と呼ばれ、人々の信仰の対象となる。
その自分が、王女に対して言の葉の一つも届けられない…。
(もしも…あの人が――姉さんが、生きていたら…)
盲目ながら、自然の『気』を読み、穏やかで言語能力に長けた、彼女の姉――そして、故人。
「…」
何か、追いすがるような視線を彼女は宙に向けた。
やがて、彼女を守護する近衛兵が巡回に訪れたとき、――彼女の姿は王宮のどこにも存在しなかった。
■
――シェーレン国 死に絶えた都
――…。
遺跡に佇む石の欠片は、所在無く孤独に時を刻んでいた。
『失敗作』によって、ダグラス・セントア・ブルグレアと切り離された、闇の七君主――。
その存在は、とっさに自身が隠し持っていた石の欠片に乗り移ることで、かろうじてこの世界への残留を果たすことに成功していた。
戦いを終えた人間たちは、その混乱の中で全て行き去り、ケガをしていた意思在るダグラスも、二人の女が拾っていってしまった。
――困ったね…。
石の欠片では、自らが移動することはできないし、『足』にできる存在もない。
せめて、自分の意思が伝わるような人間が、――操作できる人間が、近くに居れば話は早いのだが。
――この近くに、石版は…。僕の乗り移っているものの他に、一つだけ、か。
しかし、その『持ち主』の魔力は強大で、石板を介して魔力を送り込むことは、不可能だった。
せめて、その石板が、『魔力を全く持たない』人間の手に渡れば、その石板を媒介に、魔力を送り込んで操ることも可能なのだが。
――………。
石版は、佇み続けた。
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