Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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    序章 
* * *
――シルヴェア王国 シルヴェア城 謁見の間



 千年王国。
 永遠に輝く、世界の要。
 そう讃えられた、シルヴェア国の燦然とした王宮には、――いまや、血の匂いと緊張が立ち込めていた。
 闇の石板の決壊、そして、それに伴う王位継承者たちの、死。
 半年ほどで、名だたる官の半分ほどが、いつの間にか姿を消していた。
 いずれも、堅実に、誠実に国を支えてきた者たち。
 若木が伸び行くような季節の若者も、どっしりと地に根を張った老木のような熟練の官吏も――。
 その、功績を報われることなく、ある者は国を追われ、ある者は先人の墓碑の端に、空しく名を加えた。
 ただ――彼らは『幸せ』だったのかも知れない――残った者の見る、『地獄』を知らずに済んだのだから…。

「ジェレイド!」
 彼は、廊下を肩をおとして進む同僚を、呼び止めた。
 付き添った衛兵が敬礼し、拘束をゆるめる。
 ひょいっとこちらを見た、黒い髪の少年は、見知った顔に眉を上げ、唇の端を上げた。
 王国の『永久追放』を言い渡されたとは思えない、飄々とした雰囲気だった。
「おー。次期右大臣候補どのが、『反逆者』に何の用だ?」
「ジェレイド…」
 彼は、言葉を失う。
 話に聞いたときは、まさか、と思った。
 確かな交渉力と、知識、立ち回り。
 次期太政大臣の候補として、コークス家のシルヴァードと並び称される、将来のシルヴェアを支えるといわれる人物だ。
「…ぬかったよ…。あのおっさんにハメられた」
「まさか」
「ああ。国王に、内々に『禁断の文献』を読み解けといわれて――言葉どおり解読したら、『禁断の書を持ち出した罪で、国外追放』だとさ」
「………」
 彼は、絶句した。
 国王の決定など、意に介さない体でへらへらしているジェレイドを、数秒間、ただ見つめる。
「…シルヴァードや、三大臣どのたちに、迷惑かからなきゃ、いいんだがな…」
 そんな彼の前で、少年は、遠くを見つめた。
 猫のように、まんべんなく周囲に向けられたジェレイドの大きな目が、ふいっと彼を見て、動きを止めた。
「どーやら国王陛下は、『現在(いま)』だけでなく、『未来』のシルヴェアもツブす気でいるらしい」
 お前も気を付けろ『未来の右大臣殿』と、目が笑っていた。
 彼は、何も言えなかった。
 言えないまま、棒のように立ち尽くして、ジェレイドが去っていくのを見ているしかなかった。
 また、ひとつの『光』が去った――。
 目をすがめ、彼はその末路を見つめる。
 その境遇が、国名がミルガウスに移行した直後、自分に降りかかることになるのも、知らず――


――シェーレン国 シェーレンの王城



「我には、この国を――その、富と民の生活の安寧を保つ義務がある。そのための犠牲も仕方のないこと。ゆめゆめ…悟られては、ならぬぞ…!!」
 女王のその言葉が、場の終焉を宣言した。
 砂漠の国を統べる往年の女王と、若輩の水の巫女は去り、謁見の間には、彼と弟、そして特権階級に在る女兵が、所在無く巨大な空間に取れ残された。

(現在でなく、未来も…)

 守るためのこの国の政策が、コレだというのだろうか。
 彼は、ふとため息を押し殺し、遠い過去に思いを馳せた。
 ジェレイドが国外追放になった直後、彼が懸念していた通り、シルヴァードも投獄の憂き目に遭い、その後三大臣のうち二大臣が極刑、そして彼自身も国を追われた――。
 そして、その結果――一度は持ち直したかに思われた永遠の大国は、石板の崩壊とアレントゥムの悲劇を引き起こし――今だ、混迷の最中にある。
(未来は…)
 どこにあるのだろうか。
 彼は、ため息をついた。


 広大な砂の大地が、天照らす太陽の光を反射して、眩しいばかりの輝きを放つ、第三大陸。
 世界の物流が、一堂に集まる中心地――シェーレン国。
 その、片隅のいくつかの地で、いくつかの小さな出来事が、ほとんど同時に起こっていた――。


――シェーレン国 港町



「…」
 人気のいない砂漠の国の砂浜で、一人の混血児の少年が遊んでいた。
 銀色の髪を夕日になびかせて、一心不乱に砂の城を作っている。
 彼が、『奇妙な人間』たちに拾われたのは、アレントゥム自由市が崩壊する直前…――祭りで昂ぶる人々の気を鎮めるための、『生贄』として、街の中心で血祭りにあげられていたときだった。
 海賊だという彼らは、少年を拾った挙句、どういうわけだか食事と寝場所を提供して、匿ってくれる。
 船に、海賊以外の人間たちが乗り込んできてから、部屋の外に出してもらえることは少ないが、現在は外で遊ぶ時間を与えられることも多かった。
「…」
 先ほどまで少年に付き添ってくれていたローブの人は、少し用事があるから、と一旦船にもどってしまっていた。
 布の下にあるのは、少年と同じ色彩――『混血児』。
自分と同じ境遇だからだろうか。
 少年にとっては、最も安心できる相手だ。
 ローブが帰ってくるまでの間を、砂の城の完成に気をとられていた彼は、ふと、自分の背後から影が差したのに気付いて、視線を上げた。
(帰ってきた…?)
 あの人が、戻ったきたんだろうか。
 しかし、次の瞬間、身体を硬くした。
 あの人じゃない。
 あの人の身体の線は、こんなにもたくましいものではない。
 彼ら以外の『人間』に見つかった。
 それは、少年の中に、反射的にある一言を想起させた。
 殺されてしまう…!?
「!?」
 振り向こうとした少年を、その首よりも太さのある男のたくましい腕がつかむ。
 一瞬の出来事だった。
 目を見開いた混血児の少年をつれた男は、風に溶けるように消えていった。



「………」
 誰もいない砂浜に、ローブの青年が戻ってきたのは、それからすぐのことだった。
 アレントゥムで拾った混血児を、そこで遊ばせていた、はずだったのだが。
「…」
 彫刻のような動きで、右、左。
 確認したジェイドは、ぼそりと呟く。
「…いない」
 遊び場には、まず一般人には見つからないような、閑散とした場所を選んでいる。
 おいそれとしたことでは、連れ去られるわけがないのだが…。
「………」
 砂だけが吹き抜ける海岸に、作りかけの砂の城が、悲しく崩れかけていた。


――シェーレン国 ???



「あれー?」
 むくり、とクルスは身体を起こした。
 節々が――そして、頭が妙に痛い。
 砂漠にしては、ひんやりとした空気。
 そして、陰りを落とした日陰の空間。
「…オレ…確か、兄貴としゃべってた…」
 炎天下の砂漠の中で。
 キルド族の『ナナシ』――民族主義の放浪民族の中で、異色の容姿を持つ人間――と、久々に本性を見せて話をした気がする。
「…なんで、砂漠じゃなくて、ここにいるんだろ…」
 うー、と少年はうなだれる。
 七君主との戦いで倒れたカイオス・レリュードと、彼を心配するティナと共に、クルスはシェーレン国の別荘地である緑の館に滞在していた。
 そこに、兄である『キルド族のナナシ』が訪ねてきた。
 彼自身に会ったの自体――何十年ぶりのことだろうか。
 今は無きアレントゥム自由市『光と闇の陵墓』にて、不死鳥を見た、とナナシは言った。
 そこには、揃うべきすべての者が、そろっていた、と。
 魔王の降臨がなされても、なされなくても関係ない。
 すべては、『予定通り』だと――。
(生き地獄を終わらせるため、か…)
 クルスは、少年の外見にはそぐわない、重たい息をついた。
 もう、『その時』までは、会うことがないと思っていた、唯一の肉親。
 つまりは、『その時』が、近づいているということなのか。
「…う〜」
 さしあたり、お腹がすいてしまった。
 難しいことを考えると、余計に腹が減ってよろしくない。
「…ここどこ…? ティナの手料理食べたい…」
 唇を尖らせて辺りを見回した少年の、無邪気に見開かれた大きな瞳が、それとは気付かないほど、微かに細まった。
(ここにいるの…オレだけじゃない)
 幾人もの――幾十人もの、小柄な影。
 接触してくるけはいはない。息をひそめて、こちらをじっとうかがっているようだ。
 薄闇の中にあって、少年は、その髪の色が銀色――混血児、と呼ばれる者たちのものだということに、目ざとく気付いた。
 そして、思った。
 まさか、ここは。
(そういえば、オレ…)
 記憶がなくなる直前、兄と話していた最中、突然彼を襲った出来事を、クルスはやっと思い出した。
 突然、沸いて降って来たように、二人に襲い掛かった、幾人もの影。
 生け捕りだ、攫え、と。
 飛び交う怒号の中で拾った、いくつかの単語。
(オレ…)
 ふう、と彼はため息をついた。
 しまった、どうやら人攫いに捕まってしまったらしい。
「…ティナ〜」
 悲しく呟く少年の声にあわせ、その腹の音が、調子を合わせるように、同時に鳴いた。


――シェーレン国 ???



 砂漠を渡る風は、炎天の熱気を孕ませて、無遠慮に人間たちを撫ぜていく。
 誇り高き王城――絶対秩序の中で、選ばれたもののみが、出入りすることができる――その廊下を、三人の人間が歩いている。
 一人は、王城に住まうものの、特権的な礼装をした、二十半ばの女性。
 もう二人は、――しかし、明らかに平民の粗末ないで立ちで、王城の清楚な礼儀方式から逸脱した奔放な振る舞いで、自由に場の空気をかきみだしている。
 女は、そんな彼らから、距離をとるように、眉をひそめて二三歩遅れて付いてきていた。
 彼女の嫌悪には気付かないように、二人の男のうちのひとり――好戦的な光を宿した少年は、頭の後ろで手を組みながら、軽い調子で呟いた。
「あーやれやれ。やっと、終わった。謁見なんていう堅苦しいのは、ホント勘弁だね。――で、アニキよ。結局、我らが女王は何と仰せだったのか?」
「――とにかく、『アレ』の存在が、ご客人にバレないように、細心の注意を尽くせ…と」
「なるほどね」
「ってか、お前さっきオレと一緒に聞いてただろ…」
「いやー、アニキが全部聞いて教えてくれるかなっと思って、ばばーの皺の数、かぞえてた」
「………」
 話に応じる背の高い青年は、厳格そのものが形を成したような面持ちを、深く沈めた。
 ため息にかぶせるように、背後から声が上がる。
「…まったく…。何という無礼を」
「「…」」
 差し挟まれた女の硬い声に、二人は同時に振り返った。
 二対の視線が眺める先に、あからさまに顔をゆがめた女の渋面がある。
「本来ならば、異国人であるのみならず、ならず者の棟梁たるお前たちが、やすやすと入れる場所ではないのだぞ。口と行動を慎みなさい」
「…」
「申し訳ない」
 唇を尖らせた少年を目で制し、厳格な雰囲気を携えた男が、雰囲気そのものの口調で詫びた。
 女は、苛立ちがおさまらない様子で、歯を噛みしめる。
「我が砂の国は、中継貿易で富を得ている。事が露見してみなさい…各国の信頼を一気に失って獲物が逃げて、あなたたちも、共倒れなのよ」
「そんな、危険なヤマに、誇り高き砂漠の覇者が、手を染めているなど」
「…口を慎め、といったはずだ!!」
「…」
 無言のうちに、男たちは足を止めた。
 同じく足を止めた女は、昂ぶった感情を隠そうともせず、その胸のうちを叫ぶ。
「シルヴェアを追われた、落ちぶれ者の分際で…。わが国の国策を愚弄するつもりか!?」
「「…」」
「お前たちの動向は、常に我らに見張られていること…よく、胸の内に刻んでおくといい…!! ミルガウスの左大臣と、ゼルリアの将軍への監視…怠るのではないぞ! 犬どもめ」
「…なっ…」
「仰せのとおりに」
 身を乗り出しかけた少年を制して、厳格な男が額面どおりの言葉を口にする。
 それを聞いた女は、苛立ちを抑えきらない様子で、靴音高くその場を去っていった。


「………。ありえねぇ」
「…」
「アニキも! 何でだまってんだよ」
 女が去って、静寂が戻った後――。
 自分たち以外の人間がいないのを確かめた後に、少年は唇を尖らせた。
「あの女…好き勝手、いいやがって…!! どっちが、『賊』だってんだよ」
「…オレたちが、シルヴェアを追われたのは、間違いない。そして、この国で闇の売買に手を染めていることも、な」
「けど!」
「賢王の粛清…か」
 ため息をついた青年は、自らの弟を見た。
 やるせない苛立ちと不満を持った目を見て、静かに語る。
「過ぎたことを悔やんでも仕方がないだろう…。今は、自分たちのやることをやるだけだ」
「…本当は…」
 視線を外した少年は、拗ねたように呟いた。
「…」
「本当は、賢王の粛清…。あんなことさえなけりゃ…今頃は…あんたが…ミルガウスの…!」
「………」
 力のない呟きに、青年は視線落とした。
 弟の言葉の先を封じるように、彼は話題を変えた。
「ミルガウスの左大臣の監視は、滞りないか」
「ああ。暇なとき、やってる。アニキの言うとおり…『気配』をわざと、感づかせて」
「…」
「今朝方も、こっそりまき割してたぞーあの左大臣。実は結構庶民派なんじゃねーのとか思ってんだけど」
「…ぬかるなよ」
「ああ」
「では、オレはゼルリアの将軍どのの動向を見てこよう」
「おー」
 二人の男は、そこで進路を違えた。
 城下へと進む少年は、胸に溜まった苛立ちに、忌々しげに舌打ちする。
 兄にたしなめられて、一応怒りは収まったが、それで何かが発散できたわけではない。
「…ちょっと美人の財布でも、スってくっかな〜」
 呟いて彼は、方向を『緑の館』から、『城下の裏町』へと設定して、賑わう砂漠の露店の間を、風のようにすり抜けていった。


「…」
 二人の男と別れた後、特権的な階級の衣をまとったその女は、重いため息をついていた。
 盗賊風情に投げかけられた言葉の一欠けらが、深くその胸に響いていた。

――そんな、危険なヤマに、誇り高き砂漠の覇者が、手を染めているなど。

「………」
 分かっている。
 その、危険なことと、人道にもとる行為であることは。
 しかし。
「…女王の、おおせに従うだけ…」
 ため息をついて、彼女は自分に思い切りをつけるように、守護する主の元へと――『水の巫女』と呼ばれる彼女の元へと足を向けた。


――シェーレン国 王城



「…」
 一人の少女が、佇んでいた。
 年のころは、二十を過ぎた頃――。
 砂漠の民の持つ、褐色の肌は、強すぎる太陽の光から隠すためにヴェールの向こうで沈んでいる。
「私は…」
 その唇が、ぽつりと音を落とす。
 謁見の間で、突きつけられた言葉。
 絶対的な力を持つ、三十年もの長きに渡って治世を敷いた女王…。

――黙れ、小娘が。物を知らぬお前ごときに、何が分かるという!

「…」

――『水の巫女』とはいえ、わらわに対しての分をわきまえぬ発言、二度とは許すまいぞ。

「何のために…」
 唇が開き、愕然とした音をこぼした。
 何のために、祭り上げられているのか。
 その意味を、彼女は見出せないでいた。
「私は…」
 『水の巫女』と呼ばれ、人々の信仰の対象となる。
 その自分が、王女に対して言の葉の一つも届けられない…。
(もしも…あの人が――姉さんが、生きていたら…)
 盲目ながら、自然の『気』を読み、穏やかで言語能力に長けた、彼女の姉――そして、故人。
「…」
 何か、追いすがるような視線を彼女は宙に向けた。
 やがて、彼女を守護する近衛兵が巡回に訪れたとき、――彼女の姿は王宮のどこにも存在しなかった。


――シェーレン国 死に絶えた都



――…。

 遺跡に佇む石の欠片は、所在無く孤独に時を刻んでいた。
 『失敗作』によって、ダグラス・セントア・ブルグレアと切り離された、闇の七君主――。
 その存在は、とっさに自身が隠し持っていた石の欠片に乗り移ることで、かろうじてこの世界への残留を果たすことに成功していた。
 戦いを終えた人間たちは、その混乱の中で全て行き去り、ケガをしていた意思在るダグラスも、二人の女が拾っていってしまった。

――困ったね…。

 石の欠片では、自らが移動することはできないし、『足』にできる存在もない。
 せめて、自分の意思が伝わるような人間が、――操作できる人間が、近くに居れば話は早いのだが。

――この近くに、石版は…。僕の乗り移っているものの他に、一つだけ、か。

 しかし、その『持ち主』の魔力は強大で、石板を介して魔力を送り込むことは、不可能だった。
 せめて、その石板が、『魔力を全く持たない』人間の手に渡れば、その石板を媒介に、魔力を送り込んで操ることも可能なのだが。

――………。

 石版は、佇み続けた。

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