Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第五章 砂荒れる地の涙 
* * *
「結局…付いてきてたんだね」
 先頭を走るクルスの独白は、それが向けられた人物に届いていたかどうかは分からない。
 ただ、何か呟いたのを聞きとがめたヴェールの女が、物珍しげに声を掛けてきた。
「なんだい? 疲れたのかい?」
「違うよ! いっこくも早く、ティナのところに行かないといけないんだ。ティナは…一人だから…。無事だといいんだけど…」
「あんた、あの凄まじい魔力を放ってた人間の、知り合いなのかい。そんなに小さいのに?」
「うん! 仲間だよ!」
「仲間…ねえ…。あんな強大な力…操れる人間が…いたなんて…」
「おねーさん?」
「なんでもないよ。ところで、あのローブ。あれも、あんたの仲間かい?」
「うん…。仲間…なのかな、たぶん」
「?」
 今まで助けてもらったこと。
 しかし、その中身は混血児だったこと。
 そして、そん混血児に、ティナを助けに共にいくことを、そっけなく断られたこと――。
 クルスの内部に生じた葛藤をクルス自身うまく言い表せず、結局言葉を濁すだけに終わる。
「仲間…っていっても、オレ、ジェイドのこと、ほとんど何にも知らないんだ」
「へー。まあ、浮いてるっぽいしねぇ」
「…うん。あんまり、話とか、してくれないよ」
「そうか」
 じゃあ、何であたしの正体を知っているのかは、わからないね、と呟く言葉はクルスにとっては不可解なものだった。
「ふえ? おねーさん、の正体?」
「いやー、こっちの話さ」
 気だるげにため息をつく。
 彼女は、少年にも聞こえないように、静かに、静かに囁いた。
「――私の、正体か…。冗談じゃ、ないな」


「あなたが、このような場所にまで、お越しになられるとはな」
 苦笑したように囁かれた言葉を聞いて、少女は――セレアは、はっとその声の主を見上げた。
 周りの人間達の速度に付いていくのが精一杯で、すぐには返事を返すことができない。
 相手もそれを十分に察しているようで、特に急いているようではなかった。
 どちらかといえば、独り言に近いもののようだった。
 やがて、セレアは言葉を返す。
「私の非才が招いた、悲劇です。私が…止めなければ」
「暴挙と無謀とは、似て非なるものです。もっと、自らの御立場を考えるべきだ」
「分かっています。けれど、私に――『水の巫女』としての私に、なんの発言権もなく、個人としての私自身にも、何の力もない。あるのは肩書きだけ」
「………」
「ならば、その肩書きを持って、事態を収めようと思いました。私が、私の名においてできることは、何でもしようと…」
「あなたは…」
 男が、ふっと笑ったのが見えた。
「見た目は――失礼ですがお母上とあまり似ていらっしゃらないが、中は近いものをお持ちのようですね」
「…?」
「苛烈な意思と、それを可能にしようと動く実行力」
「けれど、母と違って、力はない」
「そうですね。母君と違って、自分の力のないことをご存知でいらっしゃる。だから、必死にできることを考える」
「………」
 セレアは、始めて言葉を交わすはずの人物を、まじまじと見上げた。
 人身売買をする賊の集団の頭。
 その統率力で、シェーレン中の盗賊団をまとめ上げ、全土から人身の収集を一手に引き受けている。
 ――彼が、シェーレンに来たのは、三年ほど前だったか。彼が――彼と、その弟が来てからシェーレンの治安が変わった。
 彼は、全土の盗賊たちをなんなくまとめ上げると、女王に対し、交渉をした。
 彼が目を付けたのは、シェーレンに集まる物流――そして、それを管理する王家。
 シェーレンに集まる様々な国の品々――それは、過酷な砂漠を渡って取引される。
 彼は、その旅の護衛を引き受ける代わりに、王家からいくらかの感謝料をよこせと交渉したのだ。
 さらに、商人たちからいくらかのお礼を個人的に受け取れば、それで利益が生まれる。
 砂漠を渡る最中の、賊の襲撃に怯える商人たちにとっても、悪い取引ではなかった。
 そして、皮肉なことに、王家の依頼を受けて、隊商を賊が守るようになって、治安が格段によくなったのだ。 
 それは、理想的な共存関係に見えた。
 だが、王家と賊の癒着は、思わぬ悲劇を生む。
 闇の人身売買に手を染めていた女王が、シェーレン全土に及ぶ人脈と情報網、そして、荒くれ者をまとめあげる統率力を持った男を、別の意味で利用しようと動くことによって…――。
「あなたは…人徳者、なのですね」
 これまでの経緯を脳裏に描きながら、ぽつりと呟くセレアの言葉を聞いて、男は微かに苦笑したようだった。
「まさか。私は、汚い商売に手を染める、一介の賊に過ぎない。本来ならば、こうして言葉を交わすことも、お姿を拝見することも、適わぬ身」
「…そうですね…あなたの方がずっと、能力も統率力もあるのに…このような私が、…私に力がないせいで…」
「………」
 たとえ、と男が呟いた。
 それは、今までの声の調子とはかけ離れて静かなものだった。
「たとえ、力があったとしても、強大な権力と、それに従う人々の前に、膝を折るしかないこともある」
「………」
「地位が――発言を許される、その機会がないというだけで――多くの悲劇が生み出されることもある」
 まるで、自らの内部に――セレアの眼には見えない、男自身の業に向かって、語りかけているように、彼女には見えた。
「あなたは、先ほど、地位だけは持っているといいましたね。自分に力がなくとも、その責任だけは負おうと、必死に動こうとした。それを、人によっては無謀と言うかも知れない」
「………」
「けれど、地位を持つあなたが動くことで、確実に動くものはあると思う。わたしの――個人的な感傷だが」
「いえ…」
 セレアは、微笑んだ――微笑んでいる自分を、自覚した。
 王宮を出て、人身売買をすることをやめてもらうために、賊に直談判しにいこう――そう決めてから――否、ひょっとしたら、水の巫女になってから――はじめて、自分自身の場所を認めてもらえたような、そんな心地がした。
「ありがとうございます」
 セレアは呟いた。
 前を見据えて、力強く声にした。
「あなたと――改めて、交渉させてください。これが終わったら…。受けて、いただけますか?」
「御意」
 しっかりと男が頷いたとき、不意に、前方から光が刺した。
「にゃ!」
 先頭を行く少年が、ぐんと速度を上げる。
「中央王墓か――。さって…何が出るか」
「気をつけろ――魔力が…」
 後ろで、アルフェリアとカイオスが、声を上げる。
 押し殺した悲鳴のような声を上げたのは、ヴェールの女だった。
「この邪悪な魔力…なんなんだい!? 一体」
 セレアも感じた。
 強力な波動。
 そして――むせ返るような――気分が悪くなるような、薄気味悪い邪気。
 まるで、辺り一体の空気が、どんどんと黒く悪いものに侵食されていくかのような。
「これは…」
隣りで男が息を呑んだ。
七人の影が、部屋の中になだれ込んでいく。

――やあ。

 そこに居たのは。
「ヴェイク!?」
 賊の男が声を上げた。
 亡羊とした目を虚空に漂わせた少年が、石の欠片を持って佇んでいた。
 そして、その背後には、ゆらゆらと虚空を漂う、もう一つの石板――。
「操られてたときの――あんたと、一緒だ」
「…」
 アルフェリアが、隣りにだけ聞こえる声で囁いた。
 石板の魔力に操られているのか、七君主に操られているのか――。
 どちらにしても、自分で術を跳ね返すか、操縦元である石板を少年から引き離さない限り、彼を正気に戻すことは出来ない――。
「――ティナ!!」
 不意に、クルスが悲鳴を上げた。
 他の六人が、はっと身構える。

――ふふ…。彼女なら、ここだよ。

 石板が、囁くように言った。
 少年の隣りの、――何もないように見える空間から、うなだれた女が、空間を割って、姿を現した。
「きゃ…」
「ひどい…」
 女達が、悲鳴じみた声を上げる。
 剣に手をかけたアルフェリアも、詠唱を始めようとしていたカイオスも、思わずその動きを止めて、良く知っているはずの少女の変わり果てた姿に、息を呑んで思わず一歩踏み出していた。

――ふふ…。愚か、だよねえ。この僕に、逆らうから、こうなるんだ。

 黒い空気が、彼女の周囲にまとわっていた。
 うなだれた顔を、乱れ散った髪の毛が隠し、力なくうなだれた胸の上に、はかなく散っていた。
 四肢はぐったりと投げ出され、水の中に捕らわれたかのように、ゆらゆらと漂っていた。
 顔を背けたくなるような――瘴気の塊のなかに、捕らわれて、呼吸をしていないようにさえ、見えた。

――うふふふふふ。

 石版は、哂った。
 さやさやと、さやさやと風が囁くように、微笑んだ。
 声もなく立ちすくむ人間達の前で、天を取った英雄のように、石版は誇り高く哂い続けた。

* * *
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