カオラナ王女のお付きだったという少女――レイザ・ミラドーナ。
衝撃的な再登場を果たした彼女が、旅の準備があるからと言い置いて、一旦ティナたちの前から姿を消した後、そこには嵐が去った後の静けさと、動くに動けない微妙な沈黙があった。
「…と、とりあえずだな」
勇気を持って、その疑問を口にしたのは、黒髪の将軍アルフェリアだった。
全員の心境と完全に一致するであろう――その言葉を、投げかける。
「あの子、ナニモノ?」
「『七君主』――カオラナ王女の付き人だった。カオラナが失踪して、彼女だけが残された。王宮に残して行くのは危険だからな。今回、同行することになった」
「いやそーじゃなくて…」
聞きたいのはそこではない。というより、そんなことではない。
だが、それ以上突っ込むのは、憚られた。
カイオスが、珍しく意識的に流そうとしているのが明らかなのと、ティナの形相が結構凄まじいのと。
「…まあ、そこらへんは後でゆっくり聞くかね」
感心半分、呆れ半分で、話を切り替えたのは、エカチェリーナだ。
「カオラナ王女の付き人ってことは、完全に信用はできないわけだ。…ま、裏表なさそうな娘(こ)だけど…」
「うー。オレよく分からない〜」
「…まあ、子供には、難しい話題かもねぇ」
いけしゃあしゃあと口を挟んだクルスに、肩を竦めた双碧の女は、黒髪の将軍の方を見て、さて、と切り出した。
「とりあえず、私たちも旅のしたくってことで――食料でも調達してくるかねぇ」
「何だよ、手を貸せって?」
「分かってるじゃないか」
女には重労働だからねぇと口の端で微笑んだエカチェリーナに、クルスがぱっと顔を輝かせる。
「食堂に行くなら、オレも行く〜!」
「はいはい」
「じゃ、飛竜の手配は頼んだぜ」
「ああ」
三人が連れ立って去った後、ロイドもよしっと声を上げた。
「オレも、仲間に今回のこと、話してくるからよー。なるべく早く、飛竜のところに行けばいいんだな?」
「そうだな」
海賊の船長が去った後には、ティナとカイオス、二人だけが残された。
「………」
「………」
(っっ!)
ティナは、胸中で思わず呻いた。
何だろう、とてつもなく気まずい。
カイオスの方も意図的に視線を逸らせているようにも見える。
このまま沈黙が続くのは耐えられないのに、どんな言葉をかけたらいいのか、ティナには全く分からなかった。沈黙が続くところを考えると、あちらも案外似たような心境かもしれない。
だが、探りあいでもするような時間がこのまま続くのは勘弁して欲しかったので、わざとらしいほど明るい声で、彼女は切り出した。
「と、とりあえず、私も行くわね。ちょっと時間潰してくるわ。後で、飛竜のとこに行けばいいんでしょ?」
「………それは、そうだが」
「な、何よ」
他の仲間達を送り出した時とは、微妙に違う反応が返されて、ティナは反射的に視線を彼に向けた。
ちょうどこちらを向いた青の目とかち合ってしまって、まずいと思ったがもう引き返せない。
「何か、問題でもあるの?」
「…いや」
彼は、平然とはしていたが、どことなく言いにくそうだった。
「お前―― 一人で飛竜の場所にたどり着けるのか?」
「し、失礼ね! ゼルリアの時はちょっと迷っちゃったけど、そんなバカにしてもらっちゃあ…」
「じゃあ、ちなみに城の出口はどっちの方向に行けばいい」
「…」
複雑な構造をしたミルガウス城だ。
実は、ゼルリアに赴くときに迷ってしまった前に、ミルガウス城をうろちょろしていた際にすでに迷ってしまったことはあったのだが――
彼女は、彼女なりに考えた末、ぴっとある方向を指し示した。
その先には豪勢なつくりの扉がある。
どうよ、と言わんばかりに無言でカイオスを見ると、彼は正に絶句したような表情をしていた。
「…お前…」
「な、何よ」
「本気か」
「本気よ」
「………」
言いにくいことだが、と彼は一応前置きして、
「それ――今、俺たちが出てきた部屋だぞ」
「………え」
ティナは、自分(の方向感覚)に絶望した
――結局、連れ立って行くことになった。
■
連れだって――といったところで、特に話題があるわけでもない。
むしろ、さっきの気まずさだけをそのまま引き連れて、居心地の悪い時間が伸びてしまっただけのような気がする。
この状況から逃げたい――そんな思いも半分手伝って、無言で歩きながら、ティナは話題を探す代わりに、ぐるぐると当てのない考えを巡らせていた。
カオラナ王女の付き人だったというレイザ――。
彼女に会ったのは、アレントゥム自由市に旅立つ直前――城の中にあてがわれた部屋を出て、迷ってしまった時に、助けてもらったのだった。
その際に、左大臣様大好き、みたいな話も聞いたような気がするが、そのときはなんとも思わなかった――むしろ、物好きもいるのねーくらいにしか思わなかったのだが。
(うーん)
何だろう。
何か、釈然としないものを感じる。
こう、胸のところがストンと落ちないものを抱えているみたいな。
釈然としない、といえば、何でレイザは旅についてくることになったのだろうか。
そして、よくよく考えてみれば、そもそもどうしてカイオスは、アベルの内に闇が巣くっていることに気付いたのだろう。――いつから、気付いていたのだろうか。
(まさか…最初から、知ってた、とか?)
「…」
ちらりと横を伺うと、普段どおりの平静な面持ちがそこにはある。
最初の頃と比べて、大分話しかけやすくはなったが――微かな勇気を出して、ティナは口火を切った。
「あのさ、さっきの国王陛下に話してた内容のことなんだけど」
「…」
湖面を思わせる目が、こちらを映す。
とりあえず、そこに拒絶の色はなかった。
それを感じ取ってから、彼女は続けた。
「いつから気付いてたの?」
「…」
彼は、すぐには答えなかった。
周囲に人間がいないことを確認して、口を開いた。
「アベルが――正確に言えば、王女の中に巣くっていた闇が、覚醒したときに」
「え、そうなの」
「…」
彼が国王に言上した口ぶりを思い出せば、大分初期の段階から――それこそ、ティナたちが石板を集めるため、ミルガウスを発ったとき辺りから――ミルガウスに巣くう闇のことを分かっていたような印象を受けた。
れっきとした証拠と確信を持って、国王と相対したのだ、と。
「何か…自信いっぱいだったじゃない」
「そうでもない。確信できたのは、ついさっきだしな」
「え?」
「国王に質して、やっとはっきりした」
「………」
「そもそも、ミルガウスに闇が巣くってると思ったのも――」
「ちょっと待って」
ティナは頭を押さえた。
何か――今までも、意外と案外ひょっとして、とも思ったところもあったのだが。
「ひょっとして――結構出たとこ勝負するタイプ?」
「…」
彼は肯定しなかったが、否定もしなかった。
ただ、ちらりとあっちの方を見遣った後、視線をつと戻した。
「ある程度カマかけないと、確信しようもないだろう。今回の場合」
「…まあ、そうね」
「あえていうなら…。サリエルとエルガイズ――残りの二大臣の人事を考えれば、違和感はあったんだけどな。『きっかけ』と言えば、それがそうかもな」
「サリエル…と、エルガイズ…」
彼女は、遠い記憶の中から、彼らの名前を引っ張り出した。
実際に会ったのは一度だけ――アレントゥム自由市に出立する朝、なぜか門番をしていた彼らと短い時間話をした気がする。
軍事を司る『馬の世話係』サリエルと、外交を引き受ける『奴隷出身』エルガイズ。
「確か…賢王の粛清で前の二大臣が放逐されて…その代わりに官位をもらったのよね。すごく身分が低かったのに、賢王の独断で」
「…確かに身分は、な」
「…?」
含みのある言い方に、ティナがそちらを見遣ると、アクアヴェイル人の容貌をした男は、わずかに苦笑した。
「身分が低いだけで、正当な評価が下されてない典型だと思うぞ」
「…そんなに、すごい人たちなの?」
「三年前のゼルリア戦線――物資も人材も、覇気もない中、二年間も戦線が『膠着』できたのは、サリエルの成果だ。その戦線を収めるために、秘密裏にアクアヴェイルと交渉して、ほんとんどミルガウスに不利のない停戦協定を締結してきたのは、エルガイズだった」
「…」
『ミルガウスの左大臣の最大の功績は、ゼルリア、アクアヴェイルとの戦線を穏便に収めたこと』。
そういわれる定説を、自ら否定して、カイオスは続ける。
「国を『滅ぼす』ために、ドゥレヴァが据えたにしては、あまりに出来すぎた配置だった。最初は、あの男がそれを見越した上で、古い『膿』を出すためにわざと『粛清』の名目で人員整理をしたんじゃないのか、とは考えはしたが…。さすがに『闇』が巣くってる、まではな」
「…そっか…」
ティナはなるほどと頷いた。
確かに、言われてみればそうだ。
ミルガウスに『闇』が巣くっているなんて、ティナには想像すらできなかったが、少なくとも身近にいたアベルに闇が巣くっていることさえ、彼女は気付けなかった。
カイオスも当然似たようなものだろう。
(ホント…なんか、何でも知ってそうな感じなんだもん…)
「緑の館で、気になることがあるって言ってたのも、このことだったの?」
「まあな」
「ふうん…」
確かに彼はその時、憶測で振り回されたくないだろう、といったようなことを言っていたような気がする。
だとしても――ミルガウスの、ひいてはシルヴェアの暴挙の後ろに、七君主が絡んでいた、とは…。
(あの王様も…きっと大変だったのよね…)
『シルヴェアを滅ぼすために』。
国王ドゥレヴァは、その非難を一身に受けながら、自分自身の采配で、部下達を断罪していった。
自分の娘に宿った、『七君主』に唆されて…。
しかも、もう一人の娘アベルは、フェイを傷つけて虚空に消えた…。
そういえば、その『フェイ』は。
「ねえ、フェイってさ。風の属性継承者…なのよね」
「多分な」
ふと思いついて口にしてみた疑問に、カイオスはあっさりと首肯した。
旅の道中で、そして死に絶えた都で――
副船長が魔法を使った数少ない機会を思い出してみれば、その推論に行き着くのは難しいことではない。
「私は『火』で、あんたは『水』なのよね」
「…一応、そうだな」
「…」
話題を投げかけてみたものの、ティナは、自分の中にある思いを、うまく言葉にできない。
微妙な沈黙を挟んで、口を開いたのはカイオスだった。
「四属性継承者が、三人もそろった、か」
「うん。それに…少なくとも『水』は…二人の属性継承者が、いるでしょ?」
「………」
そう。ほとんど『伝説』の域に達しているといわれる四属性継承者が、四人中三人も揃ってしまった。
しかも、『水』に関しては、カイオス・レリュードと『意思あるダグラス』、二人も確認されている。
「ほら…闇の石板とかでもそうだけど、強すぎる力って、一箇所に集まったら危険…じゃない。それが、こんなに身近にいたんだな…と思って」
地水火風の四属性の上にあるのは、『光』と『闇』の二属性継承者のみ。
彼らに至っては、存在しているのかすら怪しい。
「…確かに、な」
カイオスは、すんなり同意してくれた。
彼は、こういうことを考えたりしなかったのだろうか…。
視線に言葉が表れていたのか、彼は疑問に答えるように呟いた。
「別に、考えたことがないわけじゃないが…それで、何がどうかなるという話でもないだろ」
「まあそーよね…」
「それより気になるのは――彼が、回復魔法と防御魔法くらいしか、使ったことがない、ということかな」
「どういうこと?」
「属性魔法は、――得手不得手あるが、攻守補助、全てに対応できる」
「確かに」
頷きながら、ティナもそれまでの道中を思い返していた。
確かに――魔法を使ったこと自体をあまり見たことがなかったが――副船長の魔法、といえば、回復か防御のイメージがある。
「攻撃も…使えるはずよね、当然」
「当然、そうだろうな」
「混血児の魔力だから――相当強いわよね」
「強いだろうな」
「………」
彼は、何が言いたいんだろう。
ティナは、首を傾げて、相手を見上げてみた。
「それが…何か、気になるの?」
「お前が攻撃魔法使うときは」
ティナの疑問に返ってきた答えは、直接的なものではなかったが、はぐらかす感じではなかったので、彼女はうんと一つ頷いた。
「大体多かれ少なかれ、感情の昂ぶりがあるとき――平たく言えば、怒っているときだろ」
「うん」
彼女はもう一度頷く。
「どっかの誰かさんみたいに、七君主にめちゃくちゃ切れてるときには、魔法の攻撃力も高くなるって話よね」
「…誰の話だ」
「誰の話だろ」
そ知らぬ顔でしれっと言っておいて、そのままティナは続けた。
「属性継承者の感情解放――」
もっと言えば、属性継承者に限らず、魔法を使う人間の心理状態が、多かれ少なかれ、その特性や効果に影響するというものだが。
「攻撃は、相手に対する怒りがないと発現しない。防御は相手を守りたい、という気持ちがないと働かないし、回復は、相手を慈しむ気持ちがないと効果がない。そして、その思いが強ければ強いほど、同じ魔力を使っても、効果が段違いになってくる」
それと、副船長が攻撃魔法を使わない、ということと、何か関係があるのだろうか。
「副船長は、――まあ普段からあんまり感情を表に出してなかったけど――相手を傷つけようと思ったり、相手に対して怒ったりって気持ちが、働いてなかっただけなんじゃないの?」
「………」
普段の副船長から、導き出される結論を、ティナなりに言ってはみたが、カイオスはすぐに同意をしなかった。
ティナが、ちらりと見ると、その眼は、何かしら過去の記憶を辿っているように、微かに細められている。
彼が、考え込むような仕種をするのは珍しかったので、ティナはそのまま何気なく横顔を見ていた。
(何かこー、悩んでるよーな表情って…あんまり見ないわよねー)
『悩む』というイメージがないし、と思いながら、じーっと見ていたら、こちらを向いた視線とかち合ってしまった。
「何だよ」
「あー、ごめん。何か、考え込んでたからさー」
「ああ、悪い」
二度瞬いてから、彼は視線を進行方向に戻した。
暫く沈黙を挟んでから、彼はぼそりとその言葉を口にした。
「目が…」
「目? 副船長の?」
「ああ。あれは…あいつの本性は相当やばい」
「………」
カイオスをして、『やばい』とは、一体どれほどのものなのか。
「それは…ものすごく、攻撃的ってこと?」
「『攻撃』…じゃないな。おそらくは無意識的に、相手を威圧するような状態だな」
「…無意識的に…」
それは、感情を術者が操れていないことを示す。
そんな状態で、しかも、混血児の魔力を持って、『攻撃魔法』を使ったら…
「属性継承者の感情解放…」
「彼に自覚があるのかないのかは知らないが、万一感情のままに、相手を害する力を放ったら――それこそ、大惨事が起こる可能性が高い」
「………」
ティナは、眉をひそめた。
では、万一追い詰められた副船長が――無意識的に感情を爆発させるようなことがあったら――
「それは…ちょっとやばすぎるんじゃないの?」
「まあ、仮説の域を出ない話ではあるが」
「あなたの仮説って、ものすごく侮れないのよ」
「…それはどうも」
話はそこで一旦途切れ、黙々と足を動かすだけの沈黙が落ちる。
ミルガウスに、闇が巣くっていた。その事実を実感として受け止めるには、まだ過ぎた時間があまりに短い。
しかし、実際に動き出した『闇』と――それに狙われてしまった第一王位継承者フェイのことを思うと、こんなところで立ち止まっている暇はない。
アベルと、カオラナ――第二王女『ソフィア』。
そういえば、闇に巣くわれていたカオラナ王女の付き人だったレイザは、同行して大丈夫なのだろうか。
さきほど、胸中に感じたもやもやとしたモノ。
その懸念が、話題が一巡してもう一度こみ上げてきた。
「ねえねえ、レイザのことなんだけど…」
「私が、どうかした?」
「…」
「!?」
カイオスに対しての誰何に女の声で返事が返ってきて、ティナは思わず飛び上がる。
隣りの青年が、思わず視線を明後日に向けたことに、ティナは気付かなかった。
ただ、息を弾ませて、きらきらした笑顔を満面に解き放っている少女を視界に見止めて、口をぱくぱくさせた。
「な、ななな…!」
「ああ、麗しの左大臣様…!! 私、あなたに一刻も早くお会いしたい一身で、取る物も取りあえず、駆けつけてしまいました…!!」
「ななななな!!」
「…」
「ほら、あんたティナ。左大臣様に気安く近寄らないでよ!」
「な、ななななっ」
ティナは、動揺した。
なぜこんなに動揺するのだろうか。
全然自分が分からない。
挙動が不審なティナの傍で、カイオスはなんともいえない表情で佇んでいる。
レイザは、ふっと目を細めた。
「『ななな』ってなあに? もう…行きましょっ、左大臣様」
「…」
「!!」
ティナは目を見開いた。
レイザは何のためらいもなくカイオスの腕を取って、ふふっと微笑む。
男の方は、諦めているらしく、露骨に眉をひそめていたが、抵抗は特にしなかった。
そんな彼に、
(け、けだもの!!)
ティナはなぜか、内心そう感じた。
そんな彼女の様子には構わず、レイザはにこにこと嬉しそうにしている。
彼女は、本気で考えた。
(なんで、このこっ、旅に付いてくるの!?)
三人三竦みの微妙すぎる空気は、それから仲間たちが合流するまで、延々と続いた。
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