「おい、広場で何か面白いことをやっているらしいぞ」
「なんでも、踊りのめちゃくちゃうまい娘がいるとか…」
ティナ・カルナウスを探して、あてなく足を進めていたカイオス・レリュードの耳に、そんな言葉が飛び込んできたのは、歩き始めていくばくもない頃だった。
町の広場の一つに向かって、何人かの人間たちが、野次馬根性で流れている。
好奇心の強いあの女も、その流れに乗っている可能性は、ないこともない。
(まったく…)
人ごみの流れに乗りながら、カイオスはその広場を目指した。
近づくにつれ、リュートやギター、様々な歌声が陽気に鳴り渡り、そこに人々の歓声が彩りを添えている喧騒が、確かに大きくなってくる。
「………」
その光景を目にしたとき、彼は思わず足を止めていた。
歓声と音楽が空気を彩っていた。
広場の中心にすえられた舞台。
踊り狂う人々。
拍子の早い楽曲と、観衆の手拍子に合わせて、一人の少女が、その中心で輝いている。
太陽の光をその身体いっぱいに受けて、はじけるように心の底から微笑んだ表情は、ここ最近の鬱屈とした出来事に向き合う中で、彼女自身忘れていたものを思い切り表現しているように見えた。
技術の巧拙ではない。
内面の生命力の体現。
「………」
(何、やってるんだ…)
時間が無いと止めることもできたが、それは周囲の人間にも、踊っている本人にも悪いだろう。
そう並べ立てる理屈の中には、この光景をもう少し眺めていたいといった本音も、ほんの少し、無意識に紛れていた。
それにしても、すごい熱気だ。
舞台から、広場全体を巻き込んで、ただ無心に踊り狂っている。
それは、点在する仮仕立ての店を押しつぶしそうな勢いで、渦巻いていた。実際、立て付けが悪いのか、施工が甘いのか、急ごしらえのテントの一つが、ぐらぐらと不安定にかしいでいるのが、遠目に見えた。
(危ないな…)
どこかそう思いつつ、音楽が止むまでは、と路肩に寄ろうと踵を返しかけたとき、軽やかに踊っていた少女の隣に極彩色の塊が――七色の羽を体中にちりばめた、道化者にしか見えない男が気持ちよさそうにリュートをかき鳴らしている光景を――見て、しまった。
――彼女が死んだのは、てめーが弱かったからだ。じゃ、どうすればいい?
(まさか)
耳に蘇った声は、軽いを遥かに通り越して、軽薄な音色。
だが、その奥にある光は、真剣そのものだった。
二度と会いたくない不愉快な人間に――その男は、非常に酷似していた。
(なぜ)
そんな男が、なぜティナ・カルナウスの隣で、気持ちよさそうにリュートをかき鳴らしているのか。
「………」
眉をひそめた青年の眼前の光景の中で、踊っていた少女が、突然、何かを見つけたように動きを止めた。
■
「へえ! やるじゃん君。さっすがオレの選んだ女性だね〜!」
「いつ私があなたに選ばれたのよ!! …ったく、リュートの腕はいいのに、その軽口、どうにかしたら?」
ステップを踏むティナに、リュートをかき鳴らしながら賞賛の言葉を送った男は、呆れたような少女の言葉に、
にこっと満面の笑みを返す。
「いやー、おにーさん口から生まれて来ちゃったクチだからさー。あ、今の洒落じゃないからね」
「………」
何か調子が狂う。いや、わざと狂わされているのか。
半眼で唇を尖らせて視線を前に向けなおしたティナは、ふと何かに気をとられて、数回瞬いた。
(あれ…?)
こちらを見つめ、手拍子を送ってくれる人々。
その何人もの顔の中に、何か――どこか、知っている人間がいるのを感じる。
熱気の中で、日常を忘れてはしゃぐ人々の中で、ただ一人、穏やかな目で、こちらを見つめる――
「あれ…?」
誰、だろう。
確かにそこにいるのに、印象が分からない。
まるで、捕らえる端から煙にまかれて、あいまいになって――そう、まるで堕天使の聖堂の『番人』のような――実体があるのに、とらえどころがない、不思議な感覚だ。
「だれ…?」
(会ったことが…ある?)
ティナは、ふらふらと歩き出していた。
舞台の上の踊り子たちが、怪訝な表情で道を開ける。
リュートの羽男が声を掛けたが、それすら耳に入らなかった。
あと少し、あと少しで――それが『誰』なのか分かる。その『名前』に、届く。
(会ったことが…ある。彼は…)
彼の、名前は。
『悲しき、英雄』。
「ストラジェ…」
伸ばしかけた手が、その実体をつかみそうになった時だった。
「柱が、倒れるぞ…!!」
悲鳴のような怒号が、彼女の意識を現実に引き戻した。
(…え?)
とっさに、それが何を示しているのか、分からずに立ちすくむ。
だが、テント仕立ての仮設の建物の柱が――それを支える縄が緩んで建物が倒壊しようとしているんだ、と目の前に光景を、冷静に分析した頭のどこかが、絶望的に叫んでいた。
しかも、木材が衝撃でめりめりと裂ける音までする。
仮設のテント、といっても十数人が中で休むことのできる広さを支える、人の背丈の倍はある柱だ。
大人数の中で起こった事故が、人々の混乱をあおる。
舞台、広場を巻き込んで渦巻いていた熱気が、この瞬間、一気に恐怖と混乱に変わった。
怒号、泣き声、悲鳴。
逃げようとする人々が、ドミノ倒しになって、もがいている。
とっさに逃げようと身体を翻したティナは、ふと、子供の声を耳に留めた。
混乱の中で、親とはぐれたのか――女の子が、泣いている。
そして、その上に――ばっくりと真ん中から折れたテントの柱の残骸が、鋭利な刃物のように研ぎ澄まされて、周囲の残骸ごと、吸い寄せられるように落下していくのが、はっきりと見えた。
女の子は、それに気づかない。
(まずい…)
思ったら、もう身体が動いていた。
とっさに小さな身体を抱きしめて、衝撃に備えて背を丸める。
柱が地面に叩きつけられる音、天蓋を覆っていた布が地面にどう、と倒れふす音。
だが、ティナの身体には衝撃がない。
破壊音が、自分の身体の周囲に逸れていく。
「…?」
音が止んだ。
砂埃が舞う中、静寂の中で、おそるおそる目を開ける。
「…カイオス?」
振り向いて、彼女をかばってくれた人物の名前を、掠れた声が呆然と呼んだ。
「…お前、バカだろ」
呆れるように呟いた青年の身体が、ゆっくりとこちらへ倒れ込んでくる。
「…え」
(…血?)
抱きとめた身体に、力がない。
空白の、時間。
「…え?」
思い出したように、子供が泣き出した。
周囲が、ざわめき始める。
木をどけろ、けが人だ、早く医者を呼べ――。
その言葉の端々は、彼女の耳を通り抜けていった。
思い出したように、心臓が鳴り始めた。
早鐘のような鼓動が、どくどくと全身を巡って、その光景を見つめていた。
折れた木材の裂けた切り口が、青年の右足に深々と突き立っていた。
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